1983年3月末 みなみ東北の旅・その1

若者が旅行する際、中学から大学に通う学生が重宝するのが「学割」だが、それにも増して鉄道旅行で強い援軍となるのが「周遊券」だった。

周遊券とは決められたエリアと期間の中で、急行以下の列車が乗り放題で、それに付け加えて往路・復路もコースを自由に選べた(注*国鉄バスも利用ができた)。ただでさえ割安なのに、学割も加わると、かなりのお買い得だった。

小学4年生の時から一人旅をしていたが、中学生の時からは2泊3日程度で遠くへ出掛けるようになった。そして、高校生になると、4泊、5泊と旅程は伸び、さらに遠方へ足を伸ばすようになった。

1983年の春、初めて東北方面を旅した。実は、それまでは東京より東へ行ったことが無かったのだ。

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どこかで聞いたフレーズそのままだが、上野発の夜行列車に乗り、降り立ったのが「みなみ東北ワイド周遊券」の北限である天童駅(奥羽本線)だった。

当時、将棋にも凝っていた自分にとって、将棋盤や駒の生産で有名な街として知っていたが、駅は意外なほど質素で驚かされた。

ここから鈍行列車で折り返す。

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まだまだ旧型客車が活躍していたが、この辺りでは鉄道ファンに「赤ベコ」とも呼ばれたEF75(700番台)に牽引された鈍行が行き交っていた。

やって来た鈍行列車に乗り込むと、背もたれにモケットの無い、板張りの座席だった。3月末とはいえ、東北はまだまだ寒く、黄色い白熱灯の明かりが心なしか温かく見えた。

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そのまま米沢駅まで戻る。

乗り継ぐ列車をホームのベンチに座って待っていると、駅弁売りのおっちゃんが入れ代わり立ち代わり声を掛けてくる。

どの駅弁売りのおっちゃんも、おすすめは名産の「米沢牛」を使った弁当だと言ってたが、よく見れば、中身はほぼ同じでも「すきやき弁当」とか「牛肉弁当」、「牛肉すきやき弁当」などと微妙に名前が違っていた。どうやら作っている弁当店に違いで、それぞれ味付けも違うようだった。

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まだ手に馴染みが薄かった500円玉一つで、まずは一つ購入して、早めの昼食を摂る。(注*500円玉は前年=1982年の春に流通が始まったばかり。それまでは500円紙幣)

この当時、僅かな停車時間に慌てて購入する客のことを考えて、多くの駅弁は500円札一枚で買える価格設定になっていることが多かった。

甘い味付けで少し元気が出た気がしたが、前夜の夜行列車であまり眠れなかったこともあり、満腹になった影響で、次の列車では思い切り寝てしまった。

実は、米沢と福島の間(=通称・板谷峠越え)は急勾配のため、スイッチバックして停車する駅がいくつもあるので、それを楽しみにしていたのに、肝心なところで昼寝してしまったのだった。

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この急勾配区間で活躍していたのが、EF71とED78という電気機関車で、福島近辺でしか見ることが出来なかった。

そんな珍しい機関車も、その現場に来てみると、次から次に視界に入り、興奮して次から次にシャッターを切る。今のデジカメと違い、フィルムには撮影枚数に限りがあるので、出来る限り、無駄撃ちを省かねばならないのだが…。

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電車と違い、機関車が引く客車列車は、折り返しの度にも必要なこともあって、機関車の付け替えが頻繁にある。当然、そんな光景は日常茶飯事だが、その作業には運転士以外にも作業員が必要なので、手間が掛かる。

コスト重視の今から考えれば、どこか優雅な時代ではあった。

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急勾配区間ということもあり、長い客車列車の場合は、機関車が2両連結(=重連)になっていて、これが鉄道ファンの心をくすぐる。

定刻になると、汽笛が鳴って発車していく列車。それが今では、騒音問題とかもあって、発車の際に汽笛を鳴らさないのが当たり前になってしまったのが少し寂しい。

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