この年の冬は、降雪量が多かった。北信越方面では、あまりの大雪で交通網がマヒし、テレビや新聞で「サンパチ豪雪(=昭和38年の大雪)以来」という見出しをよく目にした。
そのため、後に1981年=昭和56年にちなんで「五六豪雪」と命名されたほどだ。
そんな雪の多かった冬、京都から始発電車に乗り、琵琶湖沿いを北上して、滋賀・福井県境を目指した。行き先は、ループ線があることでも知られる新疋田駅(福井県敦賀市)だ。
そのループ線になっている部分は、カーブを通る列車が綺麗に撮れることから、撮り鉄ファンの人気が高い場所でもあった。
どんなに雪が降っても、積もっても、列車は運行されている…そんな固定観念は、京都市内に育った自分には当たり前だったが、米原から長浜へと進むに連れて、見たこともないような積雪量に驚かされた。
そして、新疋田駅に着いたのは良かったが、ここからが大変だった。目的地のループ線までは、国道沿いを徒歩で進むのだが、行き交うトラックなどから雪混じりの冷たい水しぶきを何度も浴びせられ、全身がびしょ濡れになる始末。
履いていたスニーカーに冷たい水が染み込み、指先の感覚が失われていく。それでも必死に目的地を目指すが、国道から脇に入ると全く除雪されておらず、あえなく行くのを断念する羽目になった。
仕方なく駅に戻り、待合所にあったストーブで濡れた靴下を乾かす。
無人駅だが、駅近くの住人が掃除などで訪れているらしく、ストーブにも火が入っていたのは幸いだった。
その後は、列車が来る度にホームから撮影する。
この日、雪は降ってなかったので、白銀の世界を行き交う列車を撮影することができた。
でも、周りが真っ白なので、シャッター速度と絞りの値=露出を決めるのが難しい。当時のカメラだと、平均的な明るさしか計測しないので、周りが真っ白で光の反射率が異常に高いため、カメラから指示される値が明らかにおかしかった。
それをどう補正してセットするかは、撮り手が考えなければならないのだ。
当時、中学生で写真部に入っていたから、そういう点は先輩から学んでいた。でも、これほど真っ白な環境下での撮影は、生まれて始めてのことだった。
冷たい雪解け水に濡れた靴も、しもやけになりかねない足のことも、すっかり忘れて、ひたすらカメラのシャッターを切り続けていたのは、初めての雪の中での撮影で興奮していたからだろう。
このときの撮影で、雪の日の撮影は長靴が必須であることを学んだはずだったが、日帰りの撮影時ならともかく、旅先での撮影で長靴を持参する訳にもいかず、その後、何度か冷たい思いをした。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。