8月末といえば、小中学生が夏休みの宿題に追われる時期。でも、大学は9月半ばに始まるので、まだ夏休みだった。
1988年の8月末、同じ大学の友人たちと、大阪発、出雲市行きの夜行急行「だいせん」に乗り込んだ。寝台車も連結されていたが、お金の無い学生当時のこと、今回も当然のごとく、座席利用だった。
宍道駅で下車し、木次線に乗り換える。
映画「砂の器」の舞台として有名になった「亀嵩駅」や、急勾配に作られたため、スイッチバック式で作られた出雲坂根駅を通ることで知られているローカル線だ。
乗客は少なく、1両編成の普通列車に乗り込む。中国山地の山間に分け入ると、次第に勾配がきつくなり、ディーゼルカーのエンジンがこだまする。
亀嵩駅で途中下車。駅舎は「蕎麦屋」になっているので、そこで早めの昼食を摂る。
その後、次の列車に乗って、スイッチバック構造の駅で知られている出雲坂根駅へ移動。
スイッチバック式の駅とは、急勾配の途中に乗り降りする駅のホームを作るため、本線から一旦引き込み先に入り、水平に設けられた駅部分に移動する構造になっている。
従って、引き込み線に入ると、列車はバックすることになる。
出雲坂根駅で下車していると、急行「ちどり」がやって来た。こんなローカル線にも急行列車が走っているのには驚かされるが、たった2両編成で、乗客は半分も乗ってなかった。
単線の路線なので、途中駅で何度もすれ違いがある。そのため、列車が出発するには、タブレットと呼ばれる「通行手形」の受け渡しが必要になり、その作業のために、すれ違う駅には「駅員」が必要になる。
こうした作業にかかるコストを考えると、赤字ローカル線が存廃の危機にさらされてしまう理由が垣間見えた気がした。
再び木次線を南下して、終点の備後落合駅に到着。
中国山地の真ん中に位置するターミナル駅だが、人の姿はまばら。
かつて、木次線や芸備線で走っていたSLの付け替え拠点でもあり、中国山地から産出される木材を運び出した貨物列車で広い構内が賑わっていたのは、もう随分と昔のことなのだろうな、と思わせる寂しさだった。
こんな閑散としたローカル駅にも、なぜか立ち食いうどん・蕎麦の店があった。
他にもお菓子や土産物も売ってたので、いわゆる売店も兼ねているようだった。
ここで芸備線に乗り換えて、今日の宿泊地、三次へ移動した。
だが、今日はどこの駅でも、列車の運転間隔が1時間以上と長く、待ち時間ばかりで一日が潰れてしまった気もした。
でも、ローカル線の旅とは、そういうものである。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。