時代が昭和から平成に変わって、およそ1ヶ月経った頃、周遊券を手にして北海道に行った。
2月と言えば、一年で最も寒さの厳しい時期。北海道では終日、氷点下の気温が当たり前で、それはいくら冬に底冷えのする京都に生まれ育った自分でも未体験の世界だった。

京都から東海道新幹線に乗り、東京から上野へ行き、上野発・札幌行きの寝台特急「北斗星」に乗車した。これが初めての「北斗星」乗車だった。

開通して1年に満たなかった青函トンネルをくぐり、北海道入りして最初となる停車駅の函館駅にて機関車の交換があり、ここで「北斗星」に合わせてブルーに塗り変えられて間もないDD51重連が連結された。

高架になったばかりの札幌駅に到着後、ホームの端っこで、超望遠レンズを構える。ほどなくして、特急「北斗」が姿を見せた。

続いて、もう1本走っていた「北斗星」がやって来た。こちらは先頭はブルーのDD51だったが、次位機は従来色のままだった。
この日は深名線に乗る予定だったが、時間潰しもあって、札幌から銭函駅まで客車列車に乗って移動することに。

けん引するED76・500番台からSG(蒸気暖房発生装置)の白い煙があがっていた。

この当時、既に北海道内では旧型客車は姿を消していて、赤い50系51形の独壇場になっていた。

銭函駅は、その名前から縁起が良いとして一部マニアに入場券(硬券)の人気があったが、せっかく来たので自分も購入した。
その後、折返して札幌駅に戻る。

今度は、特急「ライラック」と鈍行を乗り継いで名寄まで移動する。

名寄駅の駅舎には、つららがいっぱい下がっていた。

ここからは、当時、日本で一番「赤字」のローカル線として有名だった深名線に乗る。ホームには、1両編成のキハ53が止まっていた。

DD14のロータリー式除雪機関車が綺麗に除雪した線路を走る。進むにつれて日が暮れていく。
車内に座っていると車掌さんが深名線の入場券セットとオレンジカードを売りに来たので、少しでも路線維持に繋がればと思って購入した。

朱鞠内にて乗り換える。この頃には、すっかり日も暮れて真っ暗になっていた。

深名線は直通列車が無く、朱鞠内で乗り換えて乗るにも、待ち合わせ時間が少ないのは、今回乗った列車のパターンしかなかった。しかし、時期的に日が暮れるのが早く、車窓の景色を殆ど楽しめなかったが、元から豪雪地帯でもあったので、冬の時期に車窓を期待しても意味が無いとも言えた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。