1978年1月16日(月・振替休日) 京都駅

SL(蒸気機関車)が旧国鉄から姿を消して2年近くが経とうとしていた。

消え行くものにカメラを向ける人が急に多くなったのは、「SLブーム」と称された、この時期からだと思う。だが、一方では次々と姿を消すSLを追いかけて、全国各地を駆け巡っていた鉄道ファンたちは、その対象が無くなり、一種の喪失感を抱いていた。

物心ついた時から鉄道好きだった自分。写真を撮ることに興味を覚え、初めてカメラを手にしたのは小学4年生の時だった。だが、もっぱら乗ることが好きだったため、そうやってカメラを手にするようになっても、鉄道の写真を撮ることなど考えたこともなかった。

1978年の1月、当時小学5年生だった自分は、同級生から「電車の写真撮りにいかへんか?」と誘いを受ける。京都駅へ特急を撮りに行くといい、同じクラスの4人でカメラを手に出かけることになった。まだ10歳だった自分は、学生時代に買ったという古いカメラを母親から借りて首からぶら下げ、既に全面廃止が決まっていた市電に揺られて京都駅へ向かった。

最初に、日本一長いことで有名な京都駅1番(現0番)ホームへ。ここは東京や名古屋、長野、北陸方面へ向かう特急や急行列車が発着していた。まず入線してきたのが北陸方面へ向かう特急「雷鳥」だった。

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今、こうして写真を眺めてみると、後方の2番ホームが今より短いことに気付く。さらに言えば、まだ地下鉄も無かったので、ホームの東側には確か古レールで出来た狭い跨線橋(=写真後方上)もあった。

国鉄の特急と言えば、このボンネット型の車両がその代名詞のようなものだったが、つい先日まで現役車両がまだ走っていたのは驚かされる。

1番ホームを西に進むと、山陰線のホームにつながっており、そこには丹後・但馬方面へ向かう特急「あさしお」が出発を待っていた。

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ところで、その当時=1978年、写真を撮るということは、デジタルカメラやスマートフォンが普及した現在からは考えられないような敷居の高さだった。

カラーフィルムもあったが、現像だけで400~500円かかり、プリントは1枚40~50円したので、36枚撮りを「同時プリント」で処理を頼むと、合計で2000円近くした。そもそも、カラーフィルムの36枚撮りが1本500円ほどした。この当時、市電・市バスの運賃が大人90~100円だったから、今に換算すれば、36枚撮りのフィルム1本を入手して撮影し、それを現像・プリントするだけで総額5000円ぐらいに相当するだろうか。だから、1枚の写真を撮ることの「価値」が、今以上に大きく、何枚も何枚も連写して同じモノを撮ることなど、(コストを考えると)到底できなかった。

これがモノクロ(白黒)だと、そのコストは半額ぐらいで済んだ。中学入学時に、銀行預金を全部おろして待望の一眼レフを購入したが、さらには部屋にあった貯金箱も壊して、まさに有り金全部を投入してフィルム現像や写真の焼き付けをする道具や薬品をそろえ、撮影から仕上げまでの全てを自分で行うようになった。それで一気にコストが下がった結果、少なかった小遣いでも、何とか写真を続けることができた。

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日本一長い京都駅1番ホームを西に進むと、山陰本線の乗り場になり、そこには「山陰1番」と「山陰2番」の2つのホームにつながっていた。

山陰2番ホームには、SL時代と変わらぬ、機関車が客車を引っ張る昔ながらの鈍行(=普通)列車が出発を待っていた。SL時代そのままに、車内は蒸気暖房を使っていたため、ディーゼル機関車の時代になっても、機関車に暖房用ボイラーが載っており、そこから蒸気を吹き上げていた。

当時は駅ビルも無く、後方に京都中央郵便局や京都タワーが見えていた。

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反対の山陰1番ホームの前には、入れ換え作業中のDD13初期型が駅構内をウロウロしていた。

いつの間にか消え去った光景だが、この時代は、まだまだ駅構内を入れ換え作業中の機関車が京都駅や大阪駅でも見られたものだった。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。