1995年3月21日(火) 震災迂回運転の「あかつき」

1995(平成7)年の1月17日、兵庫県南西部を震源地とする大きな地震があった。
 自分は京都の自宅で寝ていたが、余りの揺れの大きさにすぐに目が覚め、一瞬、家が潰れるのではと思ったぐらいだった。震度5の京都で、そういう風に感じたのだから、震度7なんて想像もつかない。

震災後は、仕事で神戸へ何度も足を運んだが、高速道路も鉄道も分断されており、当初は園部から篠山経由とかでしか行けなかった。

その状況下で、JR西日本は、地震で大きな被害を受けて不通になった区間を挟んで東西を結ぶ列車の迂回運転を始めた。
 寝台特急も例外ではなく、京都と長崎・佐世保を結ぶ「あかつき」と、新大阪と熊本を結ぶ「なは」で、大阪と姫路の間で、福知山線と播但線を経由しての迂回運転が1月30日から3月31日まで行われた。

路線図を見れば、恐ろしく遠回りだが、乗り換えせずに列車を通すために特別なダイヤが組まれた。震災の日から僅か2週間で運行を始めたのだから、当時のJR西日本の熱意がうかがえる。

この頃、JR西日本の関西地区では、普段では見られない光景があちこちの路線で見られていたが、その多くは被災による車両不足が原因で、他地域からの応援でやって来た車両が走っていたことだった。
 残念ながら、仕事が忙しく、それらをカメラに収める機会が無かったが、ようやく落ち着いてきた3月末になって、迂回運転している「あかつき」を撮影に行くことにした。

東海道線の桂川橋梁の西側にある踏切でカメラを構えた。

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最初は超望遠レンズでの撮影。300/2.8に2倍のテレコンバーターを使い、600ミリでの撮影だ。

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近くに来たところで、サブカメラに持ち替えて撮影。迂回運転区間では、非電化の播但線を通るため、通常とは異なり、DD51の1116号機がけん引していた。

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播但線の有効長が8両分しかなく、機関車で1両必要なため、7両編成という短い編成だった。その7両のうち、京都-長崎が4両、京都-佐世保が3両という組み合わせだった。

この迂回運転は2ヶ月間だけだったが、その僅かな間に、あれだけ地震であちこちが大破した線路が見事に復旧したのだから、その早さに驚かされる。

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