1980年12月30日(火)~31日(水) 宇部・小野田線

1980(昭和55)年の暮れ、帰省先の岡山から京都へ戻る家族と別れ、たった一人で広島から山口方面へ向かう自分がいた。
 その目的は、宇部・小野田線を走る旧型国電を撮影することだった。

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かつて首都圏や関西地区を走っていた古い電車は、その後、地方へと活躍の場を移していた。
 そうした車両の転配は今でも見られるが、最近は地方へは行かず、発展途上国といった海外の国々へ輸出されるケースが増えてきている。

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岡山から在来線の普通を乗り継ぎ、山口県の小郡駅(現・新山口駅)に着いたのは、もう夕方になっていた。
 真冬の夕暮れは早い。しかも、この年の冬は雪が多く、ここ小郡でも積雪があり、それは夕方を迎えても残っていた。

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年の暮れ、もう御用納めも済んでいたので、車内を埋めているのは通勤客という感じではなかった。

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雀田駅に着くと、かつて戦前の関西地区で急行電車として走り、戦後は関東の横須賀線で活躍していたクモハ42型に出会えた。
 この電車は両側に運転台が付いているため、この雀田駅から長門本山まで僅か2.3キロの支線区間を1両編成で走っていた。

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出発を待つ車内はガラガラだった。まあ、終点まで歩いても行けそうな距離なので、わざわざこの支線だけを利用する人は元から少ないことが窺えた。

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片側の運転席の反対側には、なぜか助手席は無く、一般の座席になっていた。昼間だったら、絶好の展望席だったことだろう。
 中央の貫通扉内側には、タブレット(通票)がぶら下がっていた。単線ではあるが、途中に対向列車とすれ違う場所なんて無いのに、タブレットを使う意味なんてあるのだろうか、と思った。

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宇部・小野田線をぐるっと周って、再び小郡駅に戻って来た。運用を終えた旧型国電が雪の残る構内に留置されていた。

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ここから京都へ戻るのに、夜行列車を利用することにしていたが、当時は中学生だったので、お金が無く、とてもじゃないが寝台列車には乗ることが出来なかったため、座席を利用することにしていた。
 ちょうど年末年始で、臨時の夜行列車が運転されており、その中に全車座席という特急「金星52号」名古屋行きというのがあったので、あらかじめ指定券を確保してあった。

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その「金星52号」を待つ間、次々と関西方面へ向かう寝台列車がやって来た。(東京へ向かう列車は、もっと早くに通過していた)
 待っている間に、どんどん冷え込んできていて、ホームの上にあった水溜りがみるみる凍っていくのを見て、早く来ないかな~と思ったことを覚えている。

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実は、この時が自分の人生で初めて乗った夜行列車だった。
 それほど大きくリクライニングしないシートだったことに加え、座席が「簡易リクライニングシート」と呼ばれるものだったので、背もたれを倒してもロック機構が無かった。当時、まだ体重の軽かった自分は、その軽さゆえ、ちょっと力を抜くと背もたれが勝手に復帰してしまい、その衝撃で何度も目を覚ませられた。まして、座席で寝る経験というのが一度も無かったので、列車の揺れで窓ガラスに頭を打ち付けたりもして、これまた何度も目を覚ましたことを覚えている。

臨時列車だったため、通常のダイヤに無理に組み込んだせいか、意味の分からない長時間停車が何度もあった。新大阪駅でも5分以上停まっていたので、降りて写真を撮った。
 これ以後、学校が春休み、夏休み、冬休みを迎える度に、夜行列車を利用しては全国各地へ出掛けることとなった。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。