国鉄がJRになる直前の1987(昭和62)年の3月は、既に春休みに入っていたこともあるが、過去に経験が無いぐらい、あちこちへ撮影に出掛けた。
3月3日の夜、京都駅から寝台急行「銀河」に乗って、一路、東京へ向かった。
京都駅1番ホームで「銀河」を待っていると、臨時のスキー列車「シュプール」の583系が入線してきた。
実は今回は、東京へ寄ってから東北方面へ向かう日程での撮影旅行だったのだが、友人3人と同行したため、一晩中、お酒を飲みながら車中での「麻雀大会」になってしまい、結果的に殆ど寝ないまま早朝の東京駅に到着してしまった。
東京駅で折り返す前に、朝日が差し込む中、岡山県の宇野駅から来た寝台特急「瀬戸」がホームに到着した。
その後、眠い目をこすりながら、朝のラッシュタイムが始まる前の京浜東北線に乗って、大森駅へ向かった。大森駅からは、目的の撮影地まで徒歩だが、元から旅行途中なので、大荷物を持っての徒歩移動は大変だった。
次から次へと、東京行きのブルートレイン=寝台特急が、ヘッドマークも誇らしげに姿を見せた。
とはいえ、ヘッドマークと微妙な車両の違いだけで、見た目はほぼ同じ。マニアでなければ、みな同じに見えてしまうことだろう。
他にも「出雲」や「さくら」も通過して行ったのだが、近くの公園のベンチで半ば居眠っていたため、撮り逃してしまった。
その後、なぜか新宿のカメラ店に立ち寄ったりで、東京都内をウロウロした。
関西に住む自分から見れば、まさに「見慣れぬ電車」が数多く走っていたが、逆に言えば、東京に住む人たちには「見慣れた電車」ばかりなのだろうと思った。
その後、夜に上野発の急行「おが」に乗って、秋田の方へ向かったのだった。
今から考えると、何とも慌ただしく、しかも欲張りな撮影旅行だったが、当時は大学生だったので、その若さゆえ出来たのだろう。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。