年号が「昭和」から「平成」になって1ヶ月余りが過ぎた頃、京都駅に立ち寄った。
その日は冬晴れで、時折雲が掛かったものの、どこか春を思わせる日差しだった。
この日、京都駅に入場すると、主に北陸方面へ向かう特急列車が発着する1番(現0番)ホームに、珍しく山陰方面からの特急「あさしお」が入線してきた。
理由は分からなかったが、お客さんを降ろした後、すぐに発車して行った。
京都駅1番ホームの「常連さん」と言えば、485系の特急「雷鳥」だった。
既にJRになったとはいえ、まだまだ国鉄型の車両が目立っていたが、当時の自分たちには「見飽きた存在」でもあった。
それまで晴れていたのに、急に雲が出て日が陰った。元が真冬の2月だけに、とたんに肌寒さを覚えてしまう。
そんな時、大阪から名古屋を経由して長野に向かう、381系の特急「しなの」が入線してきた。
こちらも、由緒正しい国鉄カラーとも言える特急標準色だったが、この後、これら国鉄時代の特急標準色の車両たちは、次々とご当地カラーに塗り変えられていく。
京都駅1番ホームの西端には山陰1番、2番ホームがあったが、その途中に翌月のダイヤ改正を知らせる手書きの看板がぶら下がっていた。
この頃までは、何かとよく見かけた「手書き」の看板だったが、京都駅に沢山いる駅員さんの中で、誰か担当が決まっていたのだろうか。
山陰1番ホームには、亀岡・園部方面からのキハ47系普通列車が到着したばかりで、次々と乗客が降り立っていた。
その後、50系客車の普通列車も折返して行った。
世の中が昭和から平成に変わったばかりの頃は、まだまだ機関車がけん引する客車列車が何本も走っていた時代ではあった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。