1987年3月5日(木) 男鹿駅

1980(昭和55)年の春、当時の国鉄は「いい旅チャレンジ20000km」というキャンペーンを始めた。
 これは、当時の国鉄の営業路線の総距離約20000kmを「完乗(=完全乗車)」することを目指すというキャンペーンで、1980(昭和55)年3月15日に10年間の期限で始まった。
 国鉄が1987(昭和62)年にJR化された後も継続され、1990(平成2)年3月14日に終了となった。

これは、一つの路線の始点・終点の駅にて、それぞれ駅名標と自分が写った写真を捕り、それをキャンペーンの事務局に送付して乗車したという認定を受け、後日、認定証と認定シールが送られてくるという仕組みだった。
 全路線を踏破した「完乗者」には賞品が貰えたりという特典もあったが、完乗せずとも、10線区、20線区…という感じで区切りの踏破者にも記念品や賞状が貰えた。
 今から考えると、恐ろしく手間が掛かることをやっていたものだと思う。

1987(昭和62)年の春、東北を一周する旅に出た。
 この時も、いくつかの路線を踏破することを考えていて、その中に秋田県の男鹿線があった。

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夜行列車で秋田駅に到着後、男鹿に向かおうと思ったら、そこに待っていたのは、たった1両のディーゼルカーだった。

この時、友人2人と3人の旅だったが、ボックス席に向かい合って座っていると、そこに空いた1つの席に、地元のご婦人が座られた。
 こちらが3人、関西弁丸出しで喋っていたので、すぐに旅行者と分かったのだろう。そのご婦人は「どこから来なすった?」と言ったかどうか忘れたが、そういう風に東北弁で尋ねられた。
 京都から来て、東北を一周するという話をすると、突然、持っていた買い物袋の中から「これを持って行きなさい」と言って、お菓子袋をいくつも手渡されたのだった。
 きっと、家で待つ子どもたちのために買ったものである筈なのに、と思い、丁重にお断りするも、引っ込める気配はなく、結局、全て貰い受けることになってしまった。

そんな東北の人たちの優しさは、その後、何度旅しても、同じようなことがあった。

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男鹿駅で降りると、構内につい最近まで使われていた旧型客車が停まっていた。
 駅員さんに見学したいというと、「えっ?」という感じで首をかしげられたが、承諾を得られたので、友人たちと乗り込んでみた。

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車内は汚れてもおらず、まだ今にも動き出しそうな感じだった。
 ニス塗りの背もたれが、春の暖かな日差しに浮かび上がっていた。

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きっと、この座席にも、何人もの乗客が座り、それぞれの旅路を楽しんでいたことだろう。

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4両編成で留置されていた中には、郵便荷物合造車のオハユニ61もあった。
 普段は入れない荷物室や郵便室にも入ってみた。

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その後、男鹿駅前を散策して駅に戻ったが、帰りの列車の発車時刻まで1時間近くあった。
 友人たちはお腹が空いていたらしく、駅前の食堂へ行くと言い出した。結局、特にお腹が減ってなかった自分だけが駅に残った。

ところが、発車時刻が迫っても、一向に友人たちは戻って来ないではないか。
 10分前、5分前…1分前になっても、戻って来ない。携帯電話も無い時代のこと、連絡手段も無く、かといって3人分の荷物を置いて呼びに行くことも出来なかった。

この列車を逃すと、次は2時間近く後の最終列車しかないし、そもそも今後の旅行スケジュールに影響する。
 どうしようかと思っているうちに、遂に発車ベルが鳴り響き始めた。

改札口で狼狽していると、駅員さんが「乗るの?乗らないの?」と訪ねてきたので、いや、乗るつもりだけと友人たちが駅前の食堂に…と言うと、思いがけず「じゃ、少しだけなら待つよ」という予想外の返事。
 すると、駅前の食堂から駆けて来る友人たちの姿が目に入った。そして、何とか3人揃って乗り込むことが出来たのだった。

結局、列車は数分遅れて出発。運転士や車掌さんだけでなく、他にもお客さんが乗っていたので、こちらは「すいません、すいません、待たせてしまって…」と恐縮するばかりだったが、怒られるどころか、「あの食堂、注文受けてから遅いからね、ハハハ」などと言われて、逆に笑われてしまった。

どうも、この辺りでは(京都に暮らしている自分たちとは)時間の流れ方が違うようだ、と感じた出来事でもあった。ほんの数分遅れたぐらいでは、誰も文句を言わないのだ、と思った。
 電車が駅のホームを何メートル行き過ぎたとか、何分遅れた、というような話が、それなりにニュースとして流れていて、それをごく普通の出来事だと思っている自分たちは、どこか違う世界に来たような感覚だったのだ。

その後、日本全国を旅したが、確かに地方へ行けば行くほど、時間の流れ方が違うと感じた。
 果たして、自分の人生に最も合う時間が流れているのは、日本のどこにあるのだろうか。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。