1986年の春休み、九州方面を4泊5日で撮影旅行したが、その中日には大分から久大線に乗って、豊後森(ぶんご・もり)という駅に立ち寄った。
この当時、大分と久留米を結び、九州を横断する久大線には、客車列車がまだ何本も走っていたが、この日に乗ったのは、いたって普通の気動車(ディーゼルカー)だった。
ところで、このとき、豊後森へ向かったのは、何も豊後森という駅に特別に意味があるのではなく、その駅構内に残されていた古い扇形庫の中に「キハ07」という古い気動車が保管されているという情報を知ったからだった。
豊後森駅に降り立ち、駅員に尋ねると、自由に見学しても良いということだったので、そのまま構内を歩いて扇形庫へ向かった。
蒸気機関車が走っていた時代には大活躍していたであろう転車台(ターンテーブル)は、錆が赤く浮いた状態で放置されていた。既に周囲のレールは剥がされて、使いようも無い状態になっていた。
その傍らには、これまた今にも壊れそうな状態の扇形庫が経っており、そこに1両だけポツンとキハ07が佇んでいた。
この日、空はどんよりと曇っていたが、ある一瞬だけ陽の光が降り注ぎ、キハ07を浮かび上がらせた。
ここに保存(=正確には単なる保管)されていたキハ07の41号車は、かつて久大線の豊後森駅の隣にある恵良駅から分岐していた支線の宮原線(みやのはるせん、1984年12月1日に廃止)で使われていたもので、1969(昭和44)年に廃車になった後、豊後森機関区の扇形庫で保管された。保管の経緯は、この時に国鉄職員の方に聞いた限りでは、当時の機関区長が貴重な車両だからと一存で決めたということだった。
車内は半室運転台で、半流線型の先頭部から、外の景色がパノラマのように広がって見えた。
屋根の下に収容されており、定期的に掃除もされているようだった。車体の塗装もピカピカで、極めて保存状態は良かった。そこに、この車両に対する地元の人たちや、ここで働いておられる国鉄職員の皆さんの愛着が感じられた。
しかし、このキハ07は、この写真を撮ってから間もなく、大分の大分運転所の方へ移動されてしまった。そこで長く保管されていたが、現在は福岡県北九州市の九州鉄道記念館で保存され、車内の見学も可能だという。
帰り道、大分駅で、かつての特急「こだま」の血を引く181系改造の珍車クハ481の502号車に遭遇した。
1984(昭和59)年に、それまで上越線の特急「とき」で使われていた181系の運転台付き制御車の中から、状態の良い2両を、地方転出で短編成化されて不足していた485系の先頭車に改造・編入したものだ。しかし、181系と485系では車体の高さが異なり(=181系の方が低い)、サイドから編成を見ると、見事なまでに「段差」が生じていて滑稽だった。
この珍車も2両だけで、1993年までに姿を消したので、九州での活躍は短かった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。