1980年2月3日(日) 東海道線・山崎駅周辺

寒い冬の朝に「起床」するのが苦手、という人は、世の中に多いことだろう。
 誰だって、寒い朝に暖かい布団から抜け出すのは一苦労だ。

自分が鉄道写真を撮りに行く時は、もっぱら始発のバスや電車に乗って、朝イチに出掛けることが多かった。必然的に、冬の時期は氷が張るような寒い朝、しかも夜明け前に家を出ることが多かった。
 寒さに強い自分は、それでも平気だったが、一緒に行く友人たちは寒さが苦手だったので、待ち合わせ場所で、集合時間になっても姿を見せないケースが多々あった。そんな時は、友人宅まで、わざわざ迎えに行ったことも少なくなかった。

1980(昭和55)年の2月始め、その日は「節分寒波」に見舞われて寒い朝だった。
 その日、出掛けようと門を出た時、家の前の道路にあった水溜りがカチカチに凍っていたのを覚えている。

そんな寒さの中、案の定、集合時間になっても同行予定の友人は姿を見せず、その日も迎えに行く羽目になった。
 おかげで、ブルートレインが何本も通る至福の時間を逃してしまった。

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京都駅から東海道線下り普通電車に乗り、山崎駅で下車して、徒歩で今回の撮影場所であるサントリー前のカーブへ向かう。現場に着いた時には、カメラを手にした人たちが、何人も陣取っていた。
 既に通勤の時間帯を迎えていて、153系を主体とした新快速用の「ブルーライナー」が、間合い運用で快速として、複々線の内側線と外側線の両方を行き交っていた。この頃、新型の117系が次々と新製されており、新快速からの転用が見込まれていた車両たちは湘南色への塗り変えが進行していて、白に水色の帯の「ブルーライナー」カラーと混色で編成が組まれていた。

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朝日が差し込んできた頃、急行「立山」がやって来た。冬は太陽の角度が低いので、朝夕の撮影は「影」に悩まされる。

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九州と大阪を結んでいた夜行急行の「雲仙」「西海」「阿蘇」「くにさき」が、この頃はまだ健在だった。どれもEF58がけん引する客車列車だったが、ヘッドマークが無いので、今となっては、そのどれを撮影したのかが分からない。

ここで場所を移動して、山崎駅を挟んで東側の神足(現・長岡京)駅寄りにある踏切へ。

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向日町運転所を出庫して始発の大阪駅へ回送される特急「白鳥」が通過していく。

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大阪駅を出発して北陸方面へ向かう特急「雷鳥」がやって来た。本来は夜行の寝台特急用としてデビューして、昼間にも特急での運用が可能という、マルチな583系だったが、この頃には既に夜行よりも昼行での運用の方が多くなっていた。特急なのに、向い合せに座るボックスシートだったので、お客さんには不評だったようだが、元々が寝台のベッドと共用している椅子なので、座り心地そのものはフワフワとしていて、それが好きだという人もいたようだ。

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青森から日本海側を縦断して大阪へ向かう寝台特急「日本海」が姿を見せたが、この頃のブルートレインには、東京発着の一部を除きヘッドマークが無かったので、見た目は寂しいものだった。ただ、この日は代わりに機関車の前面に雪が付着していたので、いかにも雪国からやって来たという風情はあった。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。