東海道線の山崎-高槻間(=当時)には、大学生の頃まで、ヒマがあれば何度も撮影に通っていたエリアだった。
その当時には、沿線に田畑がけっこう残っており、遠くバックに天王山系の山々を望むことが出来た。その後、大阪のベッドタウンと化して、次々と沿線にマンションが立ち並び始めた。
さらに2008(平成20)年になって、駅間の長かった山崎-高槻間に、新たに島本駅が開業して以降、一気にマンションや住宅が増えた気がする。
今では貨物列車と言えば、夜に走っている本数の方が多い気がするが、当時は昼間でもラッシュタイムが終わると、頻繁に走っていた。
コンテナ車を連ねた「フレートライナー」と呼んでいた貨物列車の先頭には、様々な電気機関車が活躍していて、今よりはバラエティに富んでいた。
複々線の外側線を走る新快速には、まだまだ117系が大活躍していた。まさに見飽きるほど走っていたのだが、117系のデザインは好きだったので、比較的、シャッターを切っていた方ではある。
ブルートレインもまだ大活躍していた頃だった。今でも消えてしまったのが信じられないぐらい、当時は身近な存在だった。
福知山線電化に合わせて登場した特急「北近畿」の回送電車が通過していく。直流区間しか走らないのに、交直流両用の485系が使われているのは、もったいない感じがしたものだが、当時は「余っている特急車両の有効活用」という言い方がされていた。
播但線経由で山陰方面に向かう特急「はまかぜ」には、キハ181系が大車輪の活躍をしていて、500馬力のパワフルなエンジン音を響かせていた。
普通列車に、東京の山手線で活躍していたのと同じ205系が関西地区にも、ちょうどお目見えした頃だった。物珍しさからシャッターを切った記憶がある。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。