1980年6月8日(日) 北陸線・1247レ

小学校6年生の頃、滋賀県と福井県境にある北陸線に「ループ線」というものがあることを知った。
 ループ線とは、急勾配を避けるため、ぐるりと一周するカタチで、緩やかに坂を上る線路構造のことで、日本国内では北陸線の敦賀-新疋田間の上り線など、数えるほどしかない。

その北陸線の敦賀-新疋田間のループ線は、通称「鳩原(はつはら)ループ」と呼ばれていて、ループ線の構造として必然的に大きなカーブが多いため、好撮影地として鉄道ファンの間で知られていた。
 そんな鳩原ループには、何度となく通ったが、その時はいつも京都から東海道線に乗り、米原経由で新疋田駅まで鈍行列車の旅を楽しんでいたが、いつも乗っていたのが米原駅を8時ちょうどに出発する福井行きの列車番号「1247レ(注*レ=客車列車)」という普通列車だった。

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1980(昭和55)年6月のある日曜日、米原駅の北陸線ホームで待っていると、デッキに作業員を満載したDE10に引っ張られた旧型客車が入線してきた。
 当時の北陸線は、坂田駅と田村駅の間に、架線の直流と交流を接続する場所があった。その頃、この区間を走っていた普通電車には直流と交流の両方の架線に対応した車両は無く、客車列車や貨物列車をけん引する機関車にも無かった。そのため、直流の米原駅から交流の田村駅の間は、架線の電気を必要としないディーゼル機関車が活躍していたのだった。

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米原駅を出発し、田村駅に着くと、その構内には、交流用の電気機関車EF70が何両も待機していた。

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今まで先頭を引っ張っていたDE10が切り離され遠ざかっていく。その後、右奥に待機しているEF70に付け替えるためだ。

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そして、EF70が連結のため近付いてきた。田んぼの真ん中にあり、特に近くに賑わう場所も無い田村駅だったが、当時はそんな機関車の付替えが頻繁にあるため、駅そのものは多くの車両で賑わっていたのだった。

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乗っていたナハ10の窓から後ろを見ると、後部に荷物車2両と郵便車1両が連結されていた。この当時、昔ながらの機関車が引っ張る客車列車が何本も残っていたのは、こうした郵便物や荷物を運ぶ車両を一緒に輸送する目的があったからだ。(この頃、北陸自動車道はまだ全線開業していなかった)

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長浜駅だろうか、米原行きの特急「加越」とすれ違った。この頃の北陸線は、特急だけでなく、急行も数多く走っていた。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。