旧山陰線の嵐山(現・嵯峨嵐山)駅と馬堀駅が複線化され、新線に切り替わったのは1989(平成元)年3月のことだった。
翌1990(平成2)年3月には電化もされたが、旧線の線路は撤去されることが無かった。当時は、なぜなのか不思議に思ったものだが、実は観光用にトロッコ列車を運転する計画が密かに進められていたのだった。
1990(平成2)年11月に嵯峨野観光鉄道が設立されて、ゴールデンウィークを前にした翌1991(平成3)年4月27日、開業の日を迎えたのだった。
その後、保津川下りと合わせた観光ルートとして定着したが、さらに乗客を増やすための試みが続けられていた。沿線にはサクラやモミジの木々が植えられ、2005(平成17)年からはライトアップも始まった。
2011(平成23)年11月末、夕闇迫るトロッコ嵐山駅を訪れた。嵯峨野観光鉄道の線路沿いで、見頃を迎えた紅葉がライトアップされた中を走る「ライトアップ列車」に乗るためだった。
開業時から変わらない編成だったが、駅の方は様変わりしていて、開業当初にあった真っ赤な50系客車が並んでいた構内は、建物になり、中には数々のSLが展示されていた。
列車のスピードは極めてゆっくりで、これという場所では停車するサービスもあった。
車窓に流れる紅葉は、赤やオレンジ色に染まっていて、まさにピークを迎えていた。乗っていた観光客は、盛んにカメラやケータイを向けて撮影していた。
ライトアップされた紅葉が綺麗に見えるよう、車内灯は最小限に減光されていたので、手元の方は、いわば真っ暗だった。
色付いた木々が見える度に、乗客から歓声が沸いていた。
かつて、DD51を先頭にした旧型客車やキハ82系の特急「あさしお」、キハ58系の急行「丹後」などがレールのきしみ音を響かせながら行き交った渓谷を、今ではトロッコ列車がのんびりと走っていることに、どこか感傷的な気持ちになってしまっていた。
紅葉がピークを迎えていることもあって乗客が多いためか、この日は通常の最終便よりも後に臨時便も運行されていた。
亀岡側の終着駅であるトロッコ馬堀駅は、田んぼの真ん中にある小さな駅だが、列車が到着すると、ホームは下車した客と、これから乗車する客とで大混雑していた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。