1987年3月21日(土) 東海道線・山崎-高槻

1987(昭和62)年3月末のこと。4月1日に行われる「国鉄の分割民営化」を前に、関西では大阪鉄道管理局が主催して、茶色に塗られたEF58-150号機が旧型客車5両と復活したばかりのマイテ49展望車からなる編成を引っ張る「すきやねん国鉄 ご愛顧感謝号」という列車が、土日の週末2回に渡って運行されることとなった。

3月21日の土曜日、京都駅で復活したばかりの展望車マイテ49の展示会が行われることになっていたが、そのときにホームに展示される編成そのものが「ご愛顧感謝号」だった。(そのときの撮影の様子はこちら←クリックすると記事に飛びます)

京都駅で、一通り撮影した後、大阪駅での展示で移動するのを撮影するため、東海道線の山崎駅へ移動して、いつものサントリー前のカーブに向かった。

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EF65PFがけん引するコンテナ貨物がやって来た。この頃には、EF60の姿は無く、少し前まで飽きるほど走っていたEF65の一般型もめっきり姿を見せなくなっていた。

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福知山線が電化されたことで、485系の特急「北近畿」が姿を見せるようになっていた。当時は6両編成の短さに「これで特急?」と思ったものだが、今では2両編成の特急も存在するようになった。

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EF66初期型がけん引するコンテナ貨物がやって来た。この後、4月1日に国鉄がJRになってから、高速貨物列車に「スーパーライナー」のヘッドマークが付くようになった。

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ようやく茶色に変身したEF58-150号機を先頭にした編成が姿を現した。最後尾のマイテ49は特別な車両だが、その前に連結されているのは普通列車でしか見かけなかった、ごく普通の旧型客車だったので、見た目には少し違和感を覚えた。

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先頭から3両目のオハ46だけ、屋根が銀色で輝いていたのが気になった。この車両は、後に和田岬線でも見ることになる(←クリックすると記事に飛びます)。

このオハ46は、その後、梅小路蒸気機関車館で、展示運転の「スチーム号」用として、オハフ33と合わせた2両が梅小路構内に留置されていたが、結局、「スチーム号」では使われることなく、そのまま放置されていた。留置中に傷んだオハフ33は解体されてしまったが、オハ46の方は生き残り、今では京都鉄道博物館で展示されている。

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最後尾のマイテ49には、つばめのテールマークが付いていたが、それは交通科学博物館で保存されていた当時のままだった。

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次のカットには、手前に接近中の貨物列車が写っていた。ギリギリのタイミングで後ろ姿を撮れていたようだ。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。