1981年4月6日(月) 京福電鉄

市電が全面廃止になった後、自宅から最も近い所を走る鉄道と言えば、京福電鉄(現・叡山電鉄)になった。
 そのため、どこかに撮影に出掛けて、フィルムの撮影可能枚数が余っていた時など、自転車に乗って叡山本線の電車をよく撮りに行っていた。

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比叡山に上るケーブルカーに接続し、自社の遊園地もあった八瀬遊園駅(現・八瀬比叡山口駅)の近くには、線路沿いに桜並木が植えられていた。御蔭神社近くの山道から降りると、絶好の撮影ポジションがあった。

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当時、出町柳-八瀬遊園を結ぶ区間では、様々な車両が使われていた。1両編成の単行ばかりだったが、1981(昭和56)年当時は、デナ21形、デオ200形、デオ300形、デナ500形、デオ600形の5種類の電車を見ることが出来た。

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今とはダイヤが違うが、当時は八瀬行きと、八瀬を出発したばかりの出町柳駅行きが、高野川に架かる橋の上で、よくすれ違っていた。

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当時、最新のデオ600は単行で運転されていることも少なくなく、八瀬にも乗り入れていた。その後、2両編成がメインとなり、もっぱら鞍馬線で使われ、八瀬には余り姿を見せていなかった気がする。

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帰り際、修学院車庫をのぞきに行くと、ちょうどデナ500が通り過ぎて行った。車庫にも同僚(デナ500)の姿が見えるが、新造されるデオ600に足回りを供出していることもあり、デナ500の姿は次第に見られなくなっている時期でもあった。

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修学院から一乗寺にかけての沿線では、この頃はまだ田畑が残っていた。遠くには大文字山も望むことが出来た。

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当時は出町柳駅で京阪とも接続しておらず、乗客数が減る一方の典型的なローカル私鉄だった。そのため、1986(昭和61)年には京福電鉄から分社化されて叡山電鉄になり、合理化がいっそう進められたのだが、京阪の出町柳延伸開業により、一気に情勢が変わった。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。