1995(平成7)年12月の終わり、仕事の関係で九州を訪れた。
山陽新幹線と鹿児島線の特急を乗り継いで、熊本に着いたのは、もう夕方だった。
この日は、市電に乗って、まずは熊本城へ。
熊本城は、予想していたより、かなり広く、大阪城公園と変わらないぐらいに感じた。
大天守と小天守などが見えて、戦国時代の日本における城郭建築を今に伝えているが、まさか地震が起きて、大きな被害を受けることになろうとは、このときは微塵も思わなかった。
京都市内から市電が姿を消して、この時点で17年の月日が経っていたが、熊本ではまだ公共交通機関として活躍している様子を見て、どこか懐かしくもあったし、羨ましくも思えた。京都市も、もっと市電を有効活用する方法があったのではないかと思わせられた。
それから4日後、今度は福岡へ移動した。
国鉄時代や、JRになって間もない頃の九州を何度か訪れていたが、久しぶりに来てみると、見慣れない車両があちこちに走っていた戸惑った。
昔懐かしい感じの「原田駅」に降り立ったが、駅名をよく見ると「はらだ」ではなく「はるだ」だった。九州北部には「原」を「はる」と読ませる地名が数多くあるらしかった。
この頃、九州には、まだまだ国鉄時代からの車両が数多く残っていた。本州の下関まで乗り入れる415系の普通列車も健在だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。