1983(昭和58)年の春休みは、青春18きっぷを使っての旅行だった。
まずは京都から東海道線で豊橋まで行き、飯田線の旧型国電に乗って辰野まで行き、今度は中央線の夜行鈍行に乗って新宿へ行き、続いて山手線~横須賀線に乗って東戸塚に行き、東京行き上りブルートレインを撮影するという強行軍のスケジュールだった。
ところが、出だしでアクシデントがあり、飯田線では旧型国電ではなく、置き替えで投入されたばかりの119系電車に乗る羽目になったのは、前にも書いた。(*太字をクリックするとリンク先の記事に飛びます)
旅にはアクシデントが付きものだが、何とか新宿行きの夜行鈍行に乗り込み、さらには乗り換えて、ようやく東戸塚駅に着いた。
到着が遅かったせいで、駅から徒歩で10分以上かかる撮影場所に着いた時には、上り寝台特急「瀬戸」や「出雲」などは通り過ぎた後だったが、「富士」には何とか間に合った。
臨時といっても、ほとんど通年運行されていた「あさかぜ51号」がやって来た。車両は元祖ブルートレインである20系がまだ使われていた。
続いて、「みずほ」「はやぶさ」「さくら」がやって来た。どれも14両編成だったが、1985(昭和60)年3月のダイヤ改正で、「はやぶさ」にロビーカーが増結されて15両になったことで、東京-下関間をけん引する機関車は、そろってEF65PFからEF66に変更になった。
つい先日、定期運行からの引退が発表された185系も、当時は特急「踊り子」を中心に大活躍していた。
その「踊り子」には、臨時列車の運行時に使う車両が不足していたこともあり、上越線から転用された183系や客車も充当されていた。
日本各地で次々と引退していたEF58も、当時はまだまだ普通に見ることができた。
東京機関区所属のEF58-68号機も、保線作業を行う職員の前を単機回送で通過していった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。