1987年11月22日(木) 山陰線・和知駅付近

1987(昭和62)年の晩秋、朝に亀岡で撮影した後、山陰線の和知駅を訪れた。
 この辺りは、由良川が形成した河岸段丘の続く区間で、谷を越えるたびに鉄橋を通る。和知駅の両側には、そんな鉄橋が架かっていた。

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和知駅に到着後、ホームで駅弁を食べていると、京都方面行きの普通列車がやって来た。既に旧型客車は姿を消しており、この頃には真っ赤な車体の50系客車か、冷暖房を完備した元急行用の車両でブルーの12系客車が使われていた。
 対向列車を待つ間、遠足で列車に乗っていた小学生たちが、先生の制止も聞かず、ホームに降りてきていた。

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ほどなく、対向の急行「丹後」がやって来た。

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駅から少し歩いた所に、撮影ポイントがあった。昔使われていたレンガ造りの橋脚の横に、新しいコンクリート造りの鉄橋が架かっていた。後年、このレンガ造りの橋脚は撤去されてしまった。

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カラーフィルム(リバーサル)に詰め替えたところで、キハ47系の普通列車が来たが、客車列車とは違い、こちらは大体2~4両編成である。

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上りの急行「丹後」が通り過ぎる。エンジンがフル回転しているせいか、排気の煙が凄かった。

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再びキハ47系の普通列車が来たが、「ハイキング」と書かれたヘッドマークを掲げていた。どうやら、臨時列車らしかった。

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12系客車の普通列車が通り過ぎていく。同じ普通列車でもキハ47系は2~4両編成なのに、客車の方は短くても6両編成で、中には8~10両で走っているものもあった。基本的にラッシュタイムだと長い編成になるのは分かるのだが、閑散とした昼間にも客車は長い編成で走っていることが多かった。そうした編成の長さの違いが、どういう基準で運用されているのか、当時でも謎に思ったものだった。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。