1985(昭和60)年の春休みは、東日本を一周する撮影旅行に出掛けたのだが、まずは大垣発の夜行鈍行列車に乗り、東京へ。
最初に東海道線の東戸塚-保土ヶ谷間で、上り東京行きのブルートレインを狙いに、その後、東京方面へ行く度に訪れていた鶴見線の大川支線を走っていた旧型国電クモハ12に会いに行く。
鶴見線の大川支線・武蔵白石-大川のたった1駅間のためだけに、昭和初期に製造された1両編成の旧型国電が生き残っていた。
ちなみに、今では武蔵白石駅の大川支線用ホームが撤去され、鶴見駅から直通で大川まで運用されるように変わってしまっているようだ。それに伴い、運行本数も激減したらしい…。
その後、この日は夜行急行「おが」に乗る予定だったので、上野駅へ移動する。待っている間、上野駅の構内を走り回り、色々な列車を撮りまくった。
この当時、上野駅から東北・高崎線を走る急行を格上げしたカタチで、「新特急」なる種別の列車の運転が始まったばかりだった。「あかぎ」も「なすの」も、直前まで急行として走っていたが、特急になって停車駅が減った訳でもなく、ボックスシートが転換シートに変わっただけで、料金が値上げになったので、その後も利用は低迷していたようだ。
常磐線の「ひたち」には、赤スカートのボンネット型485系が健在だった。
夕刻が迫り、夜行列車の発車が相次ぐ。同じく常磐線のホームには、青森行きの寝台特急「ゆうづる」の583系が出発を待っていた。
東北線のホームには、バックでブルートレイン「あけぼの」が入って来ていた。
先頭側には、EF65PFがヘッドマークも誇らしげに佇んでいた。
直前のダイヤ改正で、寝台急行「天の川」が廃止になったが、上野-酒田を結ぶ季節列車として14系座席車で運行されていた。ヘッドマークなしのEF65PFが先頭にいたが、こうした夜行の座席車ばかりの客車列車は、この頃には全国でまだ数多く走っていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。