初めて「鉄道写真を撮る」という目的を持って京都駅を訪れたのが、1978(昭和53)年1月のことだった。
この日、母親から借りたカメラにモノクロ(白黒)フィルムを詰めて、市電に揺られて国鉄の京都駅へ向かった。
この当時、京都駅には雑多な車両や機関車が姿を見せていた。今のレベルから考えると非効率極まりないという話になってしまうだろう。
京都駅から草津線に直通する旧型客車を主体とした普通列車が、この頃には朝夕だけ何本も走っていたが、待機線への入れ換えなどで京都駅構内をウロウロしていた。
今ではホームの数も増えたこともあって留置線が姿を消してしまい、駅構内に列車が長時間待機する姿は、ほとんど見ることが出来なくなった。
同様に、この頃には草津線や奈良線へ直通する貨物列車があって、DD51がけん引する貨物列車が時々、京都駅構内を通過していた。
岐阜の高山へ向かう急行「たかやま」が1番ホームに停車。どこかのんびりとして見えるのは、気のせいだろうか。
この頃には奈良線を通る急行が何本かあった。その奈良線ホームにキハ28・58にキハ65が混じった編成の急行「しらはま」(京都-白浜)が停車していた。
この急行「しらはま」は、1980年10月1日に「紀ノ川」に改称されて運転区間も京都-和歌山に変わったが、1984年10月1日に廃止となってしまった。
当時の山陰線では、急行「丹後」を中心として、キハ28・58が大活躍していた。
逆に言えば、鉄道ファンからは見飽きた存在という訳で、ヘッドマーク等の掲出が無かったこともあり、あまり撮影意欲の湧くものではなかった。
左が山陰2番ホームでその右隣りが機回し線、その右が留置線で、右側には京都中央郵便局と直結した貨物ホームがあった。
キハ80系の特急「あさしお」が停車している山陰1番ホーム。当時は客車列車が何本もあったので、行き止まり式の山陰線ホームには機回し線が必ず設けられていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。