自分が過去に撮った鉄道写真の中で、残された数多くのネガやポジを見ていると、どうやら1987(昭和62)年が最もシャッターを切っていた一年になるようだ。
その年は、ちょうど国鉄がJRに変わる時だったこともあってか、鉄道ファンの中で一大事だと感じていたことが、そういう行動からも窺える。
その1987年の正月が明けたばかりの1月4日は、日曜日だったこともあり、事実上、引き続いて「正月休み」ではあった。
この日、山崎-高槻間にあるサントリー前のカーブへ撮影に出掛けたのは、年末年始に運転されていた臨時列車を狙いに行ったからだった。
山崎駅に降り立つと、改札口の脇に「謹賀新年 山崎駅職員一同」とある手書きの看板が簡素な門松と共に飾られていた。
行き交う列車にも、正月に関するマークが取り付けられているケースが多く、キハ65の急行には「頌春」の文字と共に国鉄を示すJNRマークが書かれた小さなヘッドマークが取り付けられていた。
この頃、何かと国鉄=JNRを示すマークの掲出が多く見受けられたのは、国鉄の労働組合がJR化に反対していた背景と関係がありそうだった。
既に急行運用が主体になり、おでこの白線が消されてしまっていた元祖ブルートレイン・20系も、まだ臨時の寝台特急で使われていて、この日も「あかつき」の絵入りマークを掲げて、目の前を通過していった。
博多発、名古屋行きの夜行座席特急の「金星」も、この頃には定期運用が無くなり、臨時のみで走っていた。
でも、こちらのテールマークは絵入りではなく、昔ながらの文字表示だった。
長野方面と大阪を結んでいた夜行の急行「ちくま」は、この頃は12系座席車と14系寝台車の混結で運用されていた。
12系にはテールマークの装置が無かったが、この「ちくま」には電光式の絵入りマークが特別に取り付けられていた。後年、この「ちくま」に使われていた12系には、他のブルートレインと同じような組み込み式のテールマークが改造の上で設置され、この写真を撮った10年後の1997(平成9)年に電車化されるまで活躍した。
この日は、珍客とも言える、配給電車(クモル145+クル144)も姿を見せた。
正月休み中でも、電車は普通に走っている訳で、日曜日とは言え、朝のラッシュタイム(?)には、113系が外側線も走っていた。
見慣れた新快速の117系や、485系の特急「雷鳥」も、いつものように行き交っていた。
もちろん、大阪を発着するブルートレインも次々にやって来ていた。大阪と九州方面を結ぶブルートレインには、「なは」を除いて天体に関する名称ばかりだったが、中でもこの「彗星」のヘッドマークが自分のお気に入りだった。濃い青一色で、水平に流れる星が輝く…そんなデザインが好きだった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。