初めて鉄道写真を撮りに行って2週間が過ぎ、級友たちと2回めの撮影に出掛けることになった。
1978(昭和53)年1月29日の日曜日、その日は朝から雪が降っていたが、出掛ける時には雪雲は消え、みるみる天気は回復していった。

待ち合わせ場所は、洛北高校前の交差点にある市電の停留所、いわゆる「電停」だった。
少し早く着いたので、待っている間に市電を撮影する。
上写真は、その日に撮影したもので、下写真は約30年後の同じ場所だ。
背景に見えていた比叡山は見えなくなり、交通量は格段に増えた。
みながそろったところで、市電の6号系統に乗って京都駅まで行く。
その後、梅小路蒸気機関車館まで歩いて移動した。

梅小路蒸気機関車館を訪れたのは、このときが2回めだった。その前には、一度、父親に連れられて来たことがあった。

機関区の片隅に、赤錆が浮いて、酷い状態のC11の180号機が置いてあった。
ナンバープレートも取り外され、ペンキ書きになった姿を見て、きっと廃車されて、解体を待つばかりなのだと思ったが、その後、1982(昭和57)年に開園した京都府宇治市の山城総合運動公園、通称「太陽が丘」の広場に、綺麗にお色直しして保存・展示されていることに気付いたのは、随分とあとの話である。

この頃、梅小路蒸気機関車館では、一日に3回、SLが展示運転と称して館内を走行していたが、最後の展示運転のみ、転車台に載っていた。
この日は、翌(1979=昭和54)年に、山口線で復活の営業運転をすることになるC57の1号機が展示運転の役目を務めていた。

展示運転の際、何度も汽笛が鳴らされたが、その音量が腹の底に響くぐらい大きく、思わず耳を塞いでしまったことを覚えている。
ところが、大人になってから同じ梅小路蒸気機関車館を訪れて、同じ汽笛を聞くと、それほど大きくは感じなかった。
子どもの時の方が、より大きく感じたからなのか、それとも周辺の環境に配慮して音量を下げているのか、それとも汽笛が傷んできているのか…その理由は定かではない。
ちなみに、この頃、京都駅を発着する列車の汽笛音が、静かな早朝には、駅から直線距離で10km以上も離れた京都市内北部にある自宅にまで頻繁に聞こえていたが、今では全く聞こえてこなくなった。
これはビルが増えたといった環境の変化というよりは、発車の際やトンネルに入る際に列車が汽笛を鳴らさなくなったことにあるようだ。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。