バブル絶頂期の1990(平成2)年の3月31日、既に大学を卒業し、就職が決まっていた自分は、学生時代の最後となる旅に出ていた。
行き先は北陸方面だった。何か意味があるかと言えば、そうではなく、単に忙しくて日程がとれず、近くにしか行けなかった。
身分の上では学生最後の日だった3月31日は、あいにくの雨だった。雨に煙るJR北陸線の金沢駅に降り立つと、ちょうどトワイライトエクスプレスが姿を現した。

JR金沢駅で下車し、その日は兼六園などを観光してホテルで1泊した。
翌日の4月1日、朝から雨が降る中、北陸鉄道浅野川線の金沢駅へ向かった。
もっとターミナルっぽいのをイメージしていたが、お客さんどころか駅員の姿も見当たらず、閑散としていた。

ホームで待っていると、白っぽいクリーム色と朱色がかった赤に塗られた小じんまりとした電車が入線してきたが、日曜日ということもあり、乗車していたお客さんの数は少なかった。
金沢の街中を走るが、とりたてて印象に残るような車窓は無かった。
しかも、乗車して20分も経たぬうちに終点の内灘駅に到着してしまった。

浅野川線の電車に乗っている間に天気が回復し、内灘駅に着いた時には晴れ上がっていた。
その内灘駅にはバスターミナルがあり、それなりに人の姿はあったが、どちらかと言えば地元の人ばかりで、観光客という感じの人は見当たらなかった。

地図を見ても、金沢医大がある他は公園ばかりで、あとは内灘砂丘という海岸があるだけだった。

その海岸へ向かう方向には、明らかに線路跡とおぼしき痕跡が残っていた。調べてみると、かつて内灘駅から海岸にある「粟ヶ崎海岸駅」まで1.3kmの区間に線路があったようだ。
その海岸駅も、本来は夏の海水浴客のためだけの臨時駅だったようだが、1970(昭和45)年から港の整備が始まったことに伴い、海水浴場が閉鎖され、線路も無くなってしまったらしい。

内灘駅の横にある車庫には、何両か曰く付き(=元○○鉄道といった経歴のある)という感じの車両が止まっていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。