1992(平成4)年の6月末、北海道函館市の知人宅へ遊びに行った。
金曜日に仕事を終えてから京都駅へ向かい、寝台特急「日本海」で函館へ。知人との約束は夕方だったので、それまでの時間潰しも兼ねて、函館本線の仁山-大沼間へ撮影に出掛けた。
京都では梅雨の鬱陶しい天気が続いていたが、梅雨の無い北海道は青空が広がる良い天気だった。
撮影ポイントに着いて、すぐにDD51がけん引する貨物列車がやって来た。
北海道は広く、道南の函館から道央の札幌までの距離ですら、夜行列車が運行可能なほどだ。
その広い北海道では農産物が多く作られており、貨物列車がそうした農産物を本州などへ運ぶ役割を担っていたため、その本数も多い。
日本一の「沼」だという大沼の背景には、標高1131メートルの駒ケ岳が見えていた。
ようやく、この日お目当てだった臨時の寝台特急「エルム」が姿を見せた。
上野-札幌間で運行されていた「エルム」は、人気があってチケットの入手が困難だった寝台特急「北斗星」を補完するために運転が始まった臨時列車で、個室寝台や食堂車は連結されておらず、もっぱら昔ながらのB寝台車ばかりの編成だった。
後追い撮影するが、青い水面と青い空、そこに青い車体が光って見えて、これぞブルートレインという感じがした。
知人宅で1泊し、日曜日の午後に快速「海峡」に乗って青森へ移動する。
青森からは再び寝台特急「日本海」のお世話になって、京都へ向かう。
帰りは、車中でなぜかJR西日本の車掌さんと意気投合し、仕事の邪魔をしない程度に長い時間、話し込んでいた。今から考えると、随分と迷惑な客だったと思う。
走行中に車掌室の窓を開けてもらい、夕日の沈む中を走る列車を撮影させてもらったりもしたが、今だと、こういうのは無理かもしれない。
1988年に初めて北海道を訪れてから、その魅力にハマり、1995年までの毎年、しかも年に何度も通った。
その全てが夜行列車を利用しての旅だった。
京都駅に降り立ってから先頭の方へ走って行き、トワイライトエクスプレスカラーのEF81を撮影する。
今となっては、北海道へ夜行列車で行くことが出来なくなったというか、夜行列車での旅ですら体験するのが難しくなってしまった。
ちなみに、このとき、京都駅から大急ぎで当時の職場に向かい、そのまま仕事をこなした。そんな元気があったのも、当時20代の若さゆえだったのだろう。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。