「成人の日」と言えば、昭和生まれの自分には1月15日のイメージが強い。
でも、いつの間にか1月の第2月曜日になった。調べてみたら、2000年からだったので、15日とは限らなくなってから17年以上も経っていた。
1979(昭和54)年の「成人の日」は、前日の14日が日曜日だったので連休だった。この時代は、週休2日なんて夢物語の時代だったため、土曜日は当然のように学校があったので、連休というのは年に数回しかない貴重なものだった。
前の年の秋に市電が全廃され、まだ地下鉄も開業していなかった当時は、京都駅に行くにはバスか自転車しかなかった。
このとき、まだ小学生だった自分は、お金を少しでも節約したかったので、自転車で京都駅まで行った。今から思うと、寒い冬の朝、夜明け前に、距離にして8km以上ある京都駅まで、小学生1人でよくも行ったものだなあ、と思う。
始発電車に乗るつもりだったが、少し早く着き過ぎた。
ちょうど京都駅のホームには、寝台特急「あさかぜ」が通過する所だった。この時、父親の一眼レフカメラを借りていたので、レンズは50mm/F1.4だったこともあり、ISO100のカラーフィルムでも、何とか姿が見える程度には写せた。
その後、山崎駅などで下車して、撮影した後、新大阪駅まで移動した。
乗っていた快速には、珍しいステンレス車体のグリーン車・サロ110-902号車が連結されていた。
ちなみに、関西地区の快速列車へのグリーン車の連結は、利用者の低迷などから翌1980(昭和55)年秋に廃止されてしまった。
新大阪駅で、大阪行きの寝台特急「日本海」に遭遇した。「日本海」は、前の年の秋に定期運行が2往復になったところで、利用客は多く、新大阪でも数多くの乗客が降りていた。
新大阪駅で下車したのは、宮原操車場を見に行くためだった。
しかし、どんな所かも分からず、ただ新大阪駅の西側にあるという情報だけだったので、土地勘も無い小学生の自分には、まさに大冒険だった。
線路沿いに歩いて行くと、主に福知山線の客車列車用に配置されていたDD51が何両も休んでいるスポットがあった。後方には大きな給水塔もあり、かつては大型の蒸気機関車がたむろしていたことを想像させた。
奥の方には、ブルートレインが何本も止まっていた。が、標準レンズしか持ってない上に、小学生で身長も高くなかったので、一段低い道路からは見える場所も限られ、撮影は困難を極めた。
結局、これといった収穫もないまま、帰る羽目になってしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。