昭和50年代からダイヤ改正が行われる度に、夜行列車は減少していたが、それは平成の時代に入って新幹線と高速道路網の拡大が進んだことで、より顕著になった。
いつしか列車が廃止になる度に、それを撮るために集まる鉄道ファンのことをネット上では「葬式鉄」と揶揄するようになったが、その光景は今も昔もそれほど変わっていないように思う。ただ、最近は対象となる特徴的なお別れの列車が少なくなったので、昔に比べて、より多くの人が集中してしまう傾向が強まっているとは思う。
2008(平成20)年の春のダイヤ改正でも、長年に渡って東京と大阪を結ぶ夜行列車だった寝台急行「銀河」と、京都と熊本・長崎を結ぶ寝台特急「なは」+「あかつき」の廃止が決まり、運行最終日が近付くにつれて、沿線にはカメラを手にした鉄道ファンの姿が増えていった。
そして、いよいよ最終日となる3月15日の朝、東海道線(JR京都線)の西大路-向日町間にある踏切で、その最後の姿を撮影しに出掛けた。
撮影ポイントの踏切には、既に50人ぐらいの鉄道ファンが陣取っていた。
撮り鉄の人の多くは、列車だけが撮りたいため、出来る限り人が入らないような構図を得ようとする傾向が強い。
何を隠そう、そういう自分も、かつてはそうだったのだが、今ではあえて人を入れて撮っても良いと思うようになった。それは、たとえ人が多くても、それそのものが記録的価値を持つものでもあるので、昔ほど気にならなくなったということだ。

そして、間もなく、最終の寝台急行「銀河」がやって来た。

走り去っていく姿を見ながら、「銀河」と言えば、東京へ受験に行く時に利用したことを思い起こしたし、そもそも初めて乗った寝台列車がこれだった。
しばらくして、逆方向から、今度は最終の「なは」「あかつき」が姿を見せた。

機関車次位には、夜行バス対策として連結された座席車が目立っていた。

京都を発着する夜行列車は、いや関西から九州に向かう夜行列車が全て無くなってしまうのだという感傷よりも、小学生の頃から走り続けてきたブルートレインが、気が付けば殆ど姿を消してしまう=夜行列車の存在が日本から消えようとしていることが、どこか大きな時代の変化を感じさせた。

最後尾を飾る電源車カニ24の車体は、塗装の傷みが目立ち、かなり痛々しかった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。