物心ついた時から鉄道好きだった自分だが、幼稚園の頃に買ってもらった鉄道図鑑に載っていた車両の中で、80系電車とEF58型電気機関車がお気に入りだった。その共通点は「2枚窓」の、いわゆる「湘南形」と呼ばれるデザインだ。
その後、小学校5年生の時から鉄道写真を撮るようになったが、ちょうどその時が80系もEF58型も、次々と引退に追い込まれているタイミングだった。
1984(昭和59)年の2月に、国鉄で大きなダイヤ改正が行われ、急行荷物列車の牽引を主戦場にしていたEF58型にも、いよいよ引退の時が迫った。
それまで東京、浜松(静岡県)、米原(滋賀県)、宮原(大阪府)、広島、下関(山口県)の各機関区に配置されていたEF58型は、その最後の時を迎える前に、なぜか下関機関区に全てが集められることになった。下関への転属に選ばれなかった車両は、各機関区で既に運用から外されて、その大半が休車になり、廃車→解体の日を待つばかりだった。
そういった情報は、インターネットも無かった時代、口コミか雑誌などからしか知ることが出来なかったが、2月のダイヤ改正の時点で3月末に運用から外されるという情報が流れていたので、特に2月下旬からの一ヶ月間は、毎晩のように京都駅へ通った。
2月から3月にかけての京都と言えば、雪の降る日も多かった。そんな寒さの中、夕食を終えてから自転車に三脚とカメラを積んで京都駅まで通った。
平日だから、当然のことながら翌日には学校の授業があるので、日付が変わるかどうかの時間帯までしか撮影が出来なかったが、荷物列車が数多く来る時間帯が21~23時頃だったので、ちょうど良かった。

上りの荷物列車は1番ホーム、下りは7番ホームに停車することが多かったが、中には下りなのに2番ホームに停車する列車もあった。左には山陰線の最終列車が停まっていた。
春休みになった3月29日、ついに最後の日が訪れた。

EF58が牽引する最終の荷物列車は、どんなヘッドマークを付けて走るのだろうかと楽しみにしていたが、実際には「惜」「別」と左右に分けて張られた文字のみだった。
期待していただけに、ちょっとガッカリしたのを覚えている。
当時、リバーサル、ネガカラー、モノクロと色々なフィルムで撮ったが、撮影から30年以上が過ぎた今、ネガカラーは変色(=黄色くなる)が目立つ。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。