高校生から大学生の頃は、休みの度にカメラを手にどこかへ出掛けていた。
1986(昭和61)年の春休みも、九州へ撮影旅行に行った他にも、何度も撮影に出掛けていた。
4月に入ったある日、定番ポイントである東海道線の山崎-高槻間へ向かった。
特に何かがあるという訳でもなかったし、当時はインターネットも無く、特別な列車が来るといった情報は殆ど手に入らなかった。
朝日を背に受けて、最初にやって来るのは、決まって新潟発、大阪行きの寝台特急「つるぎ」だった。
しばらく間をおいて、青森発、大阪行きの寝台特急「日本海」もやって来た。
一方、大カーブを曲がって列車が通過する逆向けの上り線では、次々と九州から大阪へやって来たブルートレインの回送列車がやって来ていた。
「彗星」「あかつき」「明星・あかつき」「なは」が通過していく。
珍しく、デビューしたてのお座敷列車「みやび」がやって来た。牽引するのは、これまた珍しく(主に荷物列車を牽引していた)EF62だった。
この「みやび」はお座敷列車でも初めて「掘りごたつ式」を採用したことで知られ、この撮影日の3日前である4月1日にデビューしたばかりだった。
しかし、この「みやび」、同じ年の末に、山陰線の有名な餘部鉄橋から落下した大事故の方で有名になってしまい、僅か8ヶ月の命だった。
この時代、主に春と秋のシーズンには、修学旅行生の乗る団体列車も数多く走っていた。そんな団体列車も、けっこう通過していた。
帰りに京都駅へ寄ると、その修学旅行生が乗る団体列車用の機関車がホームの片隅で休んでいた。
少し離れた所には、これまた珍しい「軌道検測車」の姿もあった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。