かつて兵庫県の加古川周辺の海に近い所に、別府(べふ)鉄道というローカルな私鉄があった。
貨物輸送が主体の鉄道だったが、利用人数は少ないながらも旅客運送も行っていた。
ところが、1984(昭和59)年の2月1日に国鉄が行うダイヤ改正で、その貨物輸送の形態が大きく変わることになった。
それまで国鉄の貨物輸送には2通りあり、貨物取扱い駅同士を結ぶ直通の貨物列車(主にコンテナ車や、鮮魚といった専用列車)と、各貨物取扱い駅から集まった貨車をヤードと呼ばれる操車場で1両単位で行き先別に振り分ける貨物列車があった。
しかし、直通の貨物列車はともかく、いちいちヤードで振り分ける後者の方は、時間と手間が掛かる。当時、巨額の赤字に悩まされていた国鉄は、ヤードを必要とする貨物輸送を廃止し、コンテナ車主体の輸送に変換することとしたのだった。このとき、貨物だけではなく、郵便輸送を行う郵便列車も合わせて廃止され、トラック輸送に切り替えられた。
そんな貨物輸送の大変革をモロに受けたのが別府鉄道だった。国鉄との接続駅での貨物取扱が廃止になったことで、別府鉄道もまた廃止という決断をしたのだ。
廃止を前にした1月の日曜日、加古川駅から高砂線に乗る。2両編成の列車がホームに止まっていた。

この高砂線も、いつ廃止されるかという赤字路線だったが、結局、同じ1984(昭和59)年12月1日をもって姿を消した。
その高砂線の野口駅にて、別府鉄道野口線の古い気動車(ディーゼルカー)に乗り換えるが、数分しかなかったので、そこで写真を撮る暇は無かった。

1両編成の小さな気動車は、元は国鉄で使われていたものだったが、車内の方は別れを惜しむ鉄道ファンの姿ばかりで、地元という感じの人の姿は全く見当たらなかった。
終点の別府港で降車。周囲には工場ぐらいしか見当たらず、本当に何も無い所だった。
ほどなく、国鉄土山駅との間を結ぶ土山線の列車が来たが、これは貨車3両と客車2両を小さなディーゼル機関車が引っ張る「混合列車」だった。
小さな客車は、貨車と同じ2軸の車両なので、かなり小さくて狭かった。おまけに、かなり古い。
当然、乗り心地も貨車と同じぐらい悪く、とてもじゃないが1時間とか2時間も乗る気がしない。でも、明治時代の人とか、こんな感じの小さな2軸客車で旅を楽しんでいたのだろうなと思った。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。