1987年・春~夏 続・叡山電鉄

1987(昭和62)年の春から秋にかけて、京都市北部の洛北地域を走る叡山電鉄を盛んに撮りに出掛けていたことがあった。
 前回の続編として、違うカットを紹介する。

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1987年頃は、名車デナ21型が主力としてバリバリ活躍していた最後の時代だった。沿線で待っておれば、1時間に何本も姿を見ることが出来た。

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デナ21型は、出町柳と鞍馬を結ぶ列車には2両編成で、出町柳と八瀬遊園(現・八瀬比叡山口)を結ぶ列車には1両で従事していたが、デオ200を種車にした新車が姿を現した頃でもあり、早速、新旧のすれ違いを見ることも出来た。

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叡電の沿線では、天気の良い日には、線路沿いの柵に布団や洗濯物を干している光景がよく見られた。素人目に考えても、布団や洗濯物に「鉄粉」とか付着しそうな気がしたものだが、今では許されない行為になってしまうだろうか。

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叡電の運転席は、仕切りはあっても窓ガラスとか無く、首を突っ込めば中が丸見えだった。駅間距離が短いせいなのか、なぜか運転席にはイスが無く、運転手は立ったまま操作していた。

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運転席の後ろは、子どもたちにとって絶好の「展望台」だった。これは今も変わらない光景かもしれない。

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叡電の修学院車庫は、自宅から自転車で10分ほどで行ける距離にあり、同級生のお兄さんが働いていることもあって、よく見に行った。この日は、デナ21型だけでなく、最後の活躍を見せていたデオ200やデオ300の姿もあった。

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八瀬遊園の駅舎は、屋根が高く、どこかヨーロッパ的な雰囲気を感じた。でも、ホームに姿があるのは1両編成(単行)の小さな電車で、この時はデオ200が停車していた。

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岩倉の辺りは、この頃になると田んぼが次々に潰されて、家が立ち並び始めていた。とはいえ、沿線には緑が多く、冷房の無い電車ばかりだったこの時代、暑い季節になると窓を全開にして走っている電車には、心地良い風が吹き抜けていて、その感触は今も覚えている。

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まだ単線だった頃の木野駅は、京都府立北稜高校の真横にあって、通学時間帯になると、多くの生徒が電車から降りてきて、駅の周辺は大混雑していた。
 この北稜高校、後にモデル・女優となる杉本彩さんが通学していたことがあり、「北稜に凄い美人がおる」という噂を高校生だった自分も聞き、悪友たちとわざわざ見に行ったことが懐かしい。(ちなみに当時、目的の杉本彩さんを見ることは叶わず…)

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昭和初期に製造されたデナ21型が、二ノ瀬-貴船口の急勾配区間を登って行く。釣掛モーター独特の音が、山間にこだましていた。

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まれにデオ300が単行で鞍馬まで走っていることがあった。このデオ300は、叡電では初めてとなるカルダン駆動の新造電車だった。
 ハイパワーのモーターを装備しており、鞍馬線の急勾配を苦も無く走ることが出来たが、「キー」というブレーキ音が大きく、よく沿線から苦情が出ていたせいなのか、製造から僅か30年となる1988(昭和63)年に姿を消してしまった。

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今も殆ど変わらぬ鞍馬駅だが、ホームに停まっている電車は、この時代とは大きく変わってしまった。

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