1985年3月25日(月) 秋田駅

1985(昭和60)年の春休みは、東日本を一周する撮影旅行に出掛けたのだが、まずは大垣発の夜行鈍行列車に乗り、東京行きのブルートレインを撮り、鶴見線の旧型国電に会いに行った後、上野駅から臨時寝台急行「おが」に乗り込み、秋田駅へ向かった。
 寝台急行ではあったが、座席車も連結されていた「おが」では、当時の自分には寝台に乗る金銭的余裕が無く、この時も座席利用だった。しかし、一般的な座席車とは異なり、20系ブルートレインの座席車は、背もたれが動かないとは言え、寝台車の改造だったため、シートがフカフカだったので、ただのボックスシートよりはマシだった。

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20系ブルートレインは、他のブルートレインとは異なり、ドアを開けるのが手動式だった。閉める時は、車掌室からの操作で自動的にすることが可能だったが、手で閉めることも出来たため、寒冷地では寒気が入らぬよう気を効かせて自分で閉める人も少なくなかった。

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上野駅から自分を運んでくれた20系「おが」が乗客を降ろした後、ホームから離れていった。

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近くの別のホームには、こちらも秋田駅止まりの寝台特急「出羽」が停車していた。

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大阪発、青森行きの寝台特急「日本海」は、ここまで先頭に立っていたEF81をED75-700番台に機関車交換が行われていた。その後、いつの間にかEF81が青森まで直通するようになったが、1988(昭和63)年の青函トンネル開通の頃には既に青森までEF81が直通していたように思う。

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昼間に新潟と秋田を結ぶ特急は、485系「いなほ」だった。まだ客車列車が走っていた当時の秋田駅は、客車用にホームが低くなっていたため、床の高い485系への乗り込みは大変だった。(注*一般乗客の乗降口にはステップが付いていた)

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東北新幹線の当時の終着駅だった盛岡駅からは、特急「たざわ」が秋田までを結んでいた。ちょうど今、同じコースを秋田新幹線が走っている。

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この頃には、まだ急行荷物列車が健在だった。羽越線ではED75-700、奥羽線ではED78がそれぞれ先頭に立っていた。

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