1987年6月13日(土) 東海道線・山崎-高槻間

1987(昭和62)年の6月、既に梅雨入りして鬱陶しい天気の日が続いていた中、東海道線の山崎-高槻間へ撮影に出掛けた。
 特に何が目的というのは無かったが、この頃は毎月のように定期的に撮影に出掛けていたポイントではあった。

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山崎駅で下車して、徒歩で京都と大阪の府境を越えて、高槻の方へ向かって歩いて行く。このエリアで定番の撮影場所だった通称「サントリーカーブ」は、この頃から真横にマンションが立ち並び始めたこともあり、次第に足を運ばなくなり、代わりに直線が長く続く区間へ行くようになった。

朝一番に来るのが、青森発大阪行きの寝台特急「日本海2号」だった。この日は天気が悪く、暗かったこともあり、ヘッドライトを点灯していた。
 今では、事故防止のため、昼間もヘッドライトを点灯するのが常態化しているが、この頃は昼間に走る列車でヘッドライトを点灯しているケースは殆ど無かった。

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新快速には、専用電車である117系が縦横無尽に走り回っていた。

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その117系も、ラッシュタイムには6両編成を2編成つなげて12両編成として、「快速」として運用されていた。しかし、通常の3扉ではなく、2扉車だったため、ラッシュタイムの運用では乗降に時間が掛かって遅延が起きやすいことで、乗務員の評判はあまり良くなかったと聞いた。

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通常の「快速」には、113系が使われていた。この頃は、まさに113系の天下で、まさに「見飽きた」存在ではあった。

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北陸方面へ向かう特急には、485系が使われていたが、ほぼ全てが特急「雷鳥」で、唯一、一日に1往復だけ「白鳥」が走っているだけだった。とはいえ、ヘッドマーク以外に違いは無く、これまた「見飽きた存在」だった。

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日本全国の特急で使われていた485系だったが、他の地域とは異なり、関西地区では先頭車にボンネットタイプの初期型が圧倒的に多かった。国鉄時代は、0系の新幹線と合わせて、特急電車と言えばボンネットタイプの車両が代名詞になっていて、鉄道車両のおもちゃや、鉄道模型でも、よく見掛けられた。

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同じ特急でも、大阪と山陰方面を結ぶ「はまかぜ」では、ディーゼル(気動車)の181系が活躍していた。1982(昭和57)年、岡山と鳥取を結ぶ伯備線の電化に伴い、それまで当地の特急「やくも」で使われたものが転用されたものだが、その後、関西と山陰方面を結ぶ「はまかぜ」や「まつかぜ」、「あさしお」といった特急の主力として約25年もの長きに渡って使用されるとは、当時は思いもよらなかった。

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つい先頃、大阪環状線で全車両が引退した103系も、この頃はまだまだ東海道・山陽線の「普通」運用に大活躍していたが、これまた「見飽きた存在」だった。振り返ってみれば、この頃は、それぞれに運用されている車両のバラエティが乏しかったが、そのことで車両の管理がしやすかったと言えるかもしれない。

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