1980年11月24日(月・振替休日) 東海道線・神足-山崎

小学校から中学校の頃は、毎月1回のペースで東海道線の山崎駅周辺へ撮影に出掛けていた。
 限られた小遣いの中で撮影に出掛けるには、自宅から市電か市バスを使って京都駅に行き、そこから国鉄に乗り継いで行ける山崎駅は、ちょうど良いぐらいの場所だった。

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1980(昭和55)年の11月、いつものように山崎へ撮影に出掛けた。その往路、車窓から向日町運転所で出番を待つ特急電車群を撮影。日の出がすっかり遅くなり、この時点では、かなり暗かった。

いつもの踏切で撮影していると、近くの畑に向かう近所のおじさんが通り掛かった。
 「ぼん、もっと良い場所あるで。ついてきい」と声を掛けられた。そのおじさんは、肩に載せた棒に、天秤のように前後にバケツをぶら下げていたが、そのバケツに入っている「肥料」から猛烈な臭いを発していた…。

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案内されたのが、線路沿いの畑だった。すぐ横を北陸方面へ向かう急行「立山」が通過していく。
 おじさん(=上写真左に写っている)は、すぐ横の畑で、バケツに入っていた「肥料」を撒いていた。

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米原期間区のEF58で人気のあった変形機36号機がけん引する、急行「きたぐに」がやって来た。

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続いて、北陸方面から来たと思われるEF81けん引の一般貨物列車が姿を見せた。2軸貨車を連ねた貨物列車は、この当時は当たり前の光景で、「ドンドンドンドン」という規則的に聞こえる独特の走行音を響かせていた。

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一方では、目の前を九州方面と京都・大阪を結んでいた寝台特急群「明星」「あかつき」「彗星」といったブルートレインが次々と通過していった。

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もちろん、最も多く通過する特急は、大阪と北陸を結ぶ特急「雷鳥」で、それこそ当時は見飽きるぐらい走っていて、なかなか撮影する意欲の湧かない対象でもあった。

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ブルートレインといった夜行列車だけでなく、荷物列車もEF58の活躍の場だった。荷物列車では、たまにEF61も姿を見せていたが、逆に珍しかった。

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やっと太陽が姿を見せて、晴れてきた頃に急行「たかやま」が通って行った。複線用のスノープラウがいかめしい。
 お昼には家に戻る予定だったので、おじさんに御礼を言おうと思ったが、作業を終えて戻られたのか、自分が帰る時には姿が見当たらなかった。その後、そのおじさんには二度と会えぬままで、この場所での撮影も、この時が最初で最後だった。

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