1979年12月7日(金) 京福電鉄叡山本線・鞍馬線

1978(昭和53)年の9月に京都市電が姿を消して以降、自分の生まれ育った家に最も近い鉄道と言えば、京福電鉄(当時、現叡山電鉄)の叡山本線になった。
 地元では「えいでん(叡電)」と親しまれていたが、自分がカメラを手にして鉄道写真を撮り始めた頃は、年々乗客が減っていた時代で、赤字に悩まされている路線でもあった。

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12月のある日、授業が終わってからの放課後に、自転車に乗って宝ヶ池駅に行った。
 すぐにデオ300型が姿を見せた。この頃、出町柳と八瀬遊園を結ぶ路線は、デオ200、デオ300、デナ500,デナ21がそれぞれ単行で走っていて、意外とバラエティに富んでいた。

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宝ヶ池駅は、鞍馬方面と八瀬方面へ向かう分岐点になっているので、始発ターミナルの出町柳駅よりもホームの数が多く、叡山本線と鞍馬線を合わせた中でも最大だった。

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八瀬遊園に向かうデナ21型の125号車。右にある菊の花幼稚園は、今も健在だ。

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少し移動して、二軒茶屋駅へ。当時の鞍馬線は、岩倉から先が単線になっていて、二軒茶屋駅では列車の交換=すれ違いがあった。

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この頃の鞍馬線は、デナ21形がまだバリバリと働いていた。エアコンが無いので、夏は側窓だけでなく、運転台横の窓まで全開になっていたものだった。

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さらに移動して、市原駅へ。先に紹介した宝ヶ池駅、二軒茶屋駅も含めて、駅の雰囲気や周辺の景色は、今も当時とあまり変わってない気がする。
 もちろん、少し駅から離れれば、住宅が比べ物にならないほど増えて、田んぼが姿を消していて、景色は激変しているのだが。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。