1981年4月29日(水・祝) 保津峡駅

天皇誕生日というのは年号によって変わる訳だが、昭和の時代は4月29日だった。
 1981(昭和56)年の4月29日は水曜日だったが、天皇誕生日なので当然のことながら祝日で、学校は休みだった。今みたいに土曜日が休みではなかったし、ゴールデンウィークは「大型連休」という感じでもなかったので、当時の4月29日と言えば、普通の祝日の一つだった。

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この日、山陰本線の保津峡駅へ撮影に出掛けた。お金を少しでも節約しようと、機材を背負って自転車で行ったのだが、清滝を経て下六丁峠を越えるコースは、当時の自分には厳しいものだった。
 ちょうど保津峡駅に着くと、DD51にけん引された上り普通客車列車がホームに進入してくるところだった。

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跨線橋の上に陣取っていると、キハ47系の普通列車がやって来た。
 ここでカラーフィルムが尽きたので、モノクロフィルムに詰め替えた。

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急行「丹後」に運用されていたキハ28・58系は、間合い運用で普通列車にも使われていた。確か、その時はグリーン車が普通車扱いになっていたような記憶もある。

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眼下の保津川では、保津川下りの船が次々と通過していった。祝日ということもあり、お客さんが多いようだ。
 そこへ売店のおじさんがやって来て、懐かしいSL時代の写真のパネルを見せてくれた。何でも、トンネルの上から撮影が出来るといい、写真は確かにそのアングルだった。
 教えてもらったので、トンネルの上にある撮影ポイントへ移動する。
 今だと、こういう場所での撮影は難しいだろう。そう思うと、のどかな時代ではあった。

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50系客車の下り普通列車がやって来た。
 単線なので、保津峡駅で上り列車と下り列車の交換(すれ違い)がけっこうあった。

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この時は、キハ47系の上り普通列車とのすれ違いだった。

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その後、旧型客車で編成された下り普通列車がやって来た。
 この頃、同じ客車でも自動ドアを装備した新車の50系が次々と投入されており、置き換えが進む旧型客車は次第に姿が見られなくなっていた。

平成の時代になって、保津峡を通る山陰本線は複線電化され、この場所を通らなくなったが、その後、トロッコ列車のコースとして今も健在ではある。
 しかし、この保津峡駅での交換=すれ違いの必要は無くなり、後に単線化された。

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