1988年1月7日(木) 18きっぷで宮津線

1982(昭和57)年の春に国鉄全線乗り放題の「青春18のびのびきっぷ」という普通切符が発売されたが、その後、学生の間は欠かさず春・夏・冬休みの度に購入しては、全国各地を鈍行(=普通)列車で旅した。当時は、まだ長距離を走る鈍行列車や夜行列車が各地にあったので、それらを乗り継いで車中泊するだけでも、けっこう遠くへ行くことが出来たものだった。

最初に発売された春には1日券×3枚、2日券×1枚の5日分で8000円というものだったが、その次の夏には1日券が1枚増えて6日分で10000円になった。その後、5日分になって価格改定を重ねたが、今も販売は続いている。

とはいえ、自分の場合、意外なことに一人で全部を一度に使い切った時の方が少なく、いつも1日分を余していることが多かった。要は東北や北海道、九州といった遠方へ行く際には周遊券を使うことが多く、18きっぷでは3泊4日の旅行が多かったということだ。

1987(昭和62)から88(昭和63)年にかけての冬休みも、いつものように1枚だけ余したので、日帰りで丹後方面へ出掛けることにした。
 学生の頃は時間に余裕があり、よくこういう「時間潰し」のような日帰り旅行で丹後方面へ出掛けたものだった。

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京都駅の山陰1番ホームには、これから乗車する始発の福知山行きディーゼルカー・キハ47が停車していた。

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反対の山陰2番ホームには、白帯の消された12系客車が停車していた。本当は、こちらに乗りたかったところだが、ダイヤの都合上、止むを得ない。その脇を、けん引機のDD51が機回しされていった。

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綾部から舞鶴線に乗って、西舞鶴駅で下車。乗り継ぎに余裕があったので、駅舎の外に出てパチリ。

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京都市内に比べると、やはり丹後の方は少し寒かった。車内暖房が心地良く、単調なリズムの走行音で眠りに誘われてしまう。
 かといって、肝心の車窓も綺麗な雪景色という訳でもなく、ときおり冷たい雨が降っているし、温度差で窓ガラスが曇っていることもあり、楽しめるものでもなかった。

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豊岡駅前には、ちょっと変な看板があった。既にこの頃、特急「北近畿」は走っていたが、看板に「北近畿」のマークを掲げているのは、どう見ても国鉄→JRの特急車両ではない…。
 きっと、知識の乏しい看板屋さんが、絵本か何かで見た東武鉄道の特急をモチーフに書いたようだ。

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一方で、駅構内ではホンモノの「北近畿」が出発して行った。

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福知山行の普通列車は、福知山線と山陰線の福知山-城崎間の電化開業に伴って登場した、見た目の色は新しいものの、中身は東海道線とかで走っていた、かなり古い車両の改造車だった。

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車内に冷房の装備は無くて、扇風機があり、ドアもステンレスの銀色ではなく、鉄製のものだった。
 これでも、旧来の客車やディーゼルカーよりは快適になったのかもしれないが、新たに投入された車両というには、その出自を知っている鉄道ファンから見れば、苦笑せざるを得ない内容のものに感じたのだった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。