2006年2月6日(月) 京都駅

昭和50年代の半ば=1980年代に入ると、国鉄→JRでダイヤ改正が行われる度に、夜行列車が次々と姿を消すようになった。
 最初は夜行の普通列車、次に夜行の急行という感じで進み、遂には寝台特急もその対象に変わっていった。

バブル景気の頃には豪華寝台列車と銘打って、北海道と本州を結ぶ「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」が新たに誕生したりもしたが、ダイヤ改正の度に夜行列車が姿を消すペースは変わること無く、むしろ増えていった。

2006(平成18)年の春、東京と山陰地方を結ぶ寝台特急「出雲」が姿を消すことになった。
 いや、正確に言えば、寝台特急「出雲」は2本あって、姿を消すのはブルートレインと呼ばれる客車を使った1本である。もう1本は、まだ新しい寝台電車の「サンライズ出雲」で、こちらは廃止の対象になっていなかった。

これでは、夜行列車の利用客は確かに全般的には減少していたけれど、運転区間によっては着実に利用する客層があるのも事実で、車両が新しければ、運行を続けるメリットはある、ということだ。これは大阪と東北地方を結ぶ寝台特急「日本海」も同じで、利用客が多いのに廃止になってしまったのは、車両の老朽化が最も大きな原因だ。しかし、新車を投入するほどの財政的余裕が無いので、止むを得ず廃止になった、という感じだろうか。

インフラ(ストラクチャー=国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設)って、損得勘定の面で考えてしまうと、どうしてもコストに見合わない地方が切り捨てられてしまう。しかし、そうやって切り捨てられると地方は不便になり、ますます人が都会に行こうとする。そうすると、ますます切り捨てが進む訳で、この辺りに何でもかんでも民営化したら良いかのように言うのは間違っている気がする。

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2月のある深夜、京都駅を訪れた。ほどなく、新潟行きの寝台急行「きたぐに」が姿を見せた。こちらも「サンライズ出雲」に使われているのと同じ寝台電車なのだが、この時点で車齢は40年近くになっていて、むしろ姿を消すブルートレインよりも古かった。
 長らく大阪と青森(→のちに新潟)を結んでいた、この「きたぐに」も、2012(平成24)年春には臨時列車化され、2013(平成25)年の1月を最後に廃止されてしまった。

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近くには、京都から東京まで「出雲」をけん引するEF65が待機していた。
 同じ「出雲」でも、「サンライズ出雲」の方は岡山から伯備線経由で出雲市へ向かうため、ブルートレイン「出雲」が廃止になることで、京都府北部や兵庫県北部を通る夜行列車は、全てが姿を消すことになってしまった。かつては「出雲」が2本走っており、急行や普通の夜行列車もあったのだが…。

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京都駅0番ホームにDD51を先頭にした「出雲」が進入してきた。すぐに機関車が開放され、機回しで隣の線を通って去って行く時に並んだ。

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小学生の頃から見慣れた「出雲」のヘッドマークも、間もなく見納めになると思うと、言いようもない感慨で胸がいっぱいになった。

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間もなく、小さな汽笛音が鳴り、発車していった。昔は発車時に、ごく当たり前のように長い汽笛音がしたものだが、騒音問題などもあって、最近は発車の際に汽笛を鳴らす光景をあまり見なくなってしまった。テレビドラマなどでは、相変わらず効果音として使用されているが…。

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