1979年5月6日(日) 向日町操車場

4月末から5月にかけてある連休をゴールデンウィークと呼ぶようになったのは、いつ頃からなのだろうか。
 新聞やテレビでは様々な事情から「大型連休」と呼んでいるのだが、今と違って昭和の時代では土曜日に会社や学校が休みというケースは少なかった上に、5月4日は祝日ではなかったので、3連休すら滅多にないことだった。

1979(昭和54)年のゴールデンウィーク最終日は5月6日の日曜日だった。その日は友人たちと京都府向日市にある国鉄の向日町操車場に行くことになった。

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向日町駅を降りて、線路沿いに歩く。思ったよりも操車場は大きく、1時間近く歩いた気がする。
 その南端まで来ると、ちょうど操車場への引き込み線があった。そこで待っていると、大阪(もしくは新大阪)駅に到着してお客さんを降ろした後、入庫するために回送されてきた寝台特急が通るのだ。

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EF58にけん引されたブルートレインが、それこそ次々とやって来た。ただ、当時はEF58そのものがいっぱい走っていたから珍しくもなく、東京方面と違ってヘッドマークが無かったことで、実はそれほど撮影意欲を掻き立てるものでもなかった。今となっては、もっと丁寧に撮影しておくべきだったと思う。

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向日町操車場の入り口には、構内に子どもが立ち入らないようにと看板が立っていた。その入り口前にある踏切付近で撮影をしていた。
 ここで今まで撮影していたモノクロフィルムが終わったので、カラーネガフィルムに詰め替えた。

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寝台特急「明星」と「彗星」は、客車のブルートレインと583系の寝台電車の両方があった。

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寝台特急「あかつき」が操車場内に吸い込まれていく。この頃は、特急と言えば最低でも12両編成ぐらいだったが、比較的短編成の列車が多く走るようになった今では列車そのものが長く見える。

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近くの下り線を、今度は大阪行きの寝台特急「日本海」が通り過ぎていく。この頃、ブルートレインと言えば、ヘッドマークの無い先頭よりは、テールマークのある後ろの方が好きだった気がする。

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フェンスの網目にカメラのレンズを差し込み、構内に並ぶ寝台電車583系を撮影。
 主に九州方面への寝台特急に使用されていた583系だったが、1978(昭和53)年の夏を過ぎた辺りからは、10月のダイヤ改正で北陸方面への特急が増発されることになったのを前に、昼間には「雷鳥」で使われるようにもなっていた。
 今と違って、昔は(新車の投入でもなければ)正式なダイヤ改正の日よりも前に、先行して使用が始まっていることがけっこうあったものだった。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。