1981年11月10日(火) 山陰線

1981(昭和56)年の秋、当時通っていた中学校で遠足があり、その行き先は嵐山だった。
 朝に京都駅前に集合し、国鉄の山陰線に乗り、嵯峨駅へ向かったが、その時に乗車したのは8両編成の旧型客車による鈍行列車だった。

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京都駅を出て間もなく、梅小路機関区の横を通る。寝台特急「出雲」のけん引機EF65がヘッドマークを付けたまま休んでいた。この当時は今では梅小路公園となっているスペースに梅小路貨物駅があり、機関区周辺は多くの車両でかなり賑やかだった。

ちなみに写真右手前に写っている錆びてボロボロの蒸気機関車は、この後にお色直しされ、今では太陽が丘運動公園に保存展示されているC11の180号機である。

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二条駅を出ると、教習所を過ぎた所で大きな左カーブがある。ここには華奢な歩道橋があった。

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この当時は、まだ円町駅も太秦駅も無かったので、二条駅を出ると次は花園駅だった。
 単線の線路沿いには生活感のある住宅が立ち並ぶ一方で、線路沿いで耕作している光景も見られた。

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旧型客車のデッキにはドアがあったが、手動だった上に、開け閉めすることは殆ど無く、夏場は開けっ放しになっていることが常態化していた。
 「度胸試し」などと言っては、走行中であるにも関わらず、車両端のデッキから身を乗り出して、わざわざ隣の車両のデッキに乗り移るなんていう芸当をする者もいたのだが、よくも事故に遭わなかったものだと思う。(電化してなかったので、線路沿いに電柱は殆ど無かったが)

そんな度胸試しは、駅に進入する時にもあって、まだ止まり切ってない動いている車内からホームへ飛び降りする、なんてのもあった。
 でも、その時は斜め前方に飛び降りないと、まず間違いなく転倒するのだが、そこに「理科」や「数学」的な思考から友達になぜそうなるかという「解説」する級友もいたことを覚えている。

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当時は「嵯峨」だった駅も、今では「嵯峨嵐山」駅に改称された。
 山陰線の京都から嵯峨までの短い区間とはいえ、客車の鈍行列車が1時間に1本とかしか走っておらず、車窓からは遠く愛宕山や比叡山も見えて、どこか古き良き汽車旅を感じさせたものだった。今では同じ区間に駅の数も増え、周辺には立ち並ぶマンションや住宅が視界を遮るようになり、スマートな電車が10分といった短い間隔でビュンビュンと行き交う区間に変わってしまった。

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