1986年8月26日(火)~27日(水) 鳥取県の山陰本線

大学生の頃、毎年夏になると鳥取県の浦富海岸へ泊まりがけで、同級生たちと海水浴に出掛けていた。
 ちょうど山陰本線の但馬地区で、旧型客車が最後の活躍を見せていた頃でもあったが、海水浴で行く時は大人数で行くこともあり、(分乗すれば安くなることで)主にクルマで行っていた。

とはいえ、そのメンバーのうち半数ほどは鉄道好きだったので、旧型客車が姿を消すまで、海水浴とは別で鳥取方面へ何度も足を運んだ。

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1986(昭和61)年の夏の終わりも、海水浴ではなく、写真を撮るために鳥取方面へ向かった。
 当時、鳥取・浜村ミニ周遊券という切符があり、大阪発の夜行急行列車「だいせん」を利用した。
 この夜行「だいせん」は、以前は寝台特急に使われていた元祖ブルートレインの20系だったが、幅が52センチしかない狭い寝台で、しかも3段式という居住性の低いものだったので、既に旧式化していた。

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驚くことに、扉を開けるのも手動だった。(注*閉めるのは自動)
 慣れない乗客の中には、駅に着いても「いつまで経っても扉が開かない!」と騒ぐ人がたまにいたと車掌さんから聞いたことがあった。

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いつもは費用を節約して座席を利用するのだが、この20系も引退が噂されていたため、このときは珍しく寝台を利用した。(注*その後、1986年11月1日から12系普通車+14系寝台車に変更)

鳥取・浜村ミニ周遊券は西端が倉吉までが範囲だったので、倉吉まで「だいせん」を利用し、その後、普通列車で折り返した。

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鳥取からは旧型客車に乗り込んで、鳥取・浜村ミニ周遊券の東端である香住までの旅を楽しむ。

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この当時で、蒸気機関車が姿を消して10年以上の月日が経っていたが、旧型客車の旅は、まさに昔ながらの汽車旅の雰囲気を色濃く残していた。
 エアコンも無い車内では、国鉄を示す「JNR」マークの扇風機が回っていたが、それ以上に全開にした窓から心地良い風が車内を吹き抜けていた。

余部鉄橋で写真を撮ったりしているうちに夕方になり、浜坂へ。

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但馬地区の山陰本線を走る旧型客車の中で、人気のあった普通・荷物合造車の「オハニ36」に乗るためだった。
 友人から、この日のこの列車で乗れるという情報を聞いていたのだ。

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車内は古めかしく、あらゆるところに木が使われていた。
 この当時の山陰本線では、日本海で収穫した海の幸を運ぶ「行商人」の利用がけっこうあり、そのために普通客室に加えて同じ車両内に荷物室のある合造車は重宝されていたのだった。
 この日も、オハニ36の客室内には、多くの行商のオバちゃんが乗り込んでいた。

ちなみに、この時に乗車した「オハニ36 11」は、今もJR東日本で動態保存され、主に蒸気機関車の運転用に大事に使われている。 

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