1997年10月11日(土) 京阪京津線

京都市内は日本で最初に電車が走った街だが、かつて日本一とも形容された路面電車網は、1978(昭和53)年の秋に姿を消した。
 だが、その後も道路の真ん中を電車が走るという、路面電車のような区間がいくつか京都市内には残っていた。一つは京都市内西部を走る嵐山電鉄(嵐電)であり、もう一つが京都市内東部を走る京阪電鉄京津線だった。
 いずれも、道路の真ん中を走る区間があり、いかにも路面電車のようだったが、車体の床が路面電車のように低くはなっておらず、路面電車区間にある安全地帯上のホームは、かつて京都市内を走っていた市電に比べると、高さがあった。

その京阪京津線も、京都市営地下鉄東西線の開業を受けて、道路の真ん中を走る路面電車区間を中心に姿を消すことになった。

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鉄道愛好家の中で、主に写真を撮る人たちのことをいつしか「撮り鉄」と呼ぶようになったが、中でも「お別れ列車」ばかり追い掛ける人たちを「葬式鉄」と呼んでいるようだ。
 だが、そういう言い方はインターネットが広く普及した、ここ10数年の間からなので、まだまだ歴史は浅いが、お別れ列車と聞くとカメラを手にして出掛ける人の数は、昔も今も変わりないように思う。

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大阪と京都を結ぶ京阪電鉄の京都側の玄関口と言えば、長らく「三条京阪」と親しまれた三条駅だったが、1987年に京阪本線が地下化され、京津線のホームのみが地上にある状態が続いていた。その京津線も、ちょうど10年後に地上から姿を消すことになった。

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お別れの日が迫り、沿線にはカメラを手にした人の姿が目立っていたが、そこを生活路線として通勤や通学で利用する人々にとっては、日常の一つに過ぎない。
 ある日を境に、単に利用する電車が地上を走っていたものから地下鉄に変わるだけの話…と思うところだが、実際には、そう簡単な話ではなく、京阪三条と御陵駅までの区間は、京阪電鉄だったものが京都市営地下鉄に変わるため、運賃が変わってしまったのだった。切符はもちろん、定期券とかも変わるので、通勤や通学で利用する人にとっては、負担が増えるケースが少なくなかったようだ。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。