2016年3月、最後まで残っていたブルーの車体の寝台列車「ブルートレイン」の車両が営業列車から姿を消した。
1970年代の半ば、SLが国鉄の線路から姿を消した後、鉄道写真を撮る子どもたちの撮影対象の中心になったのがブルートレインだったように思う。
それは、推理小説作家・西村京太郎さんが次々とブルートレインを題材にした小説を発表していた時期とも重なる。
そんなブルートレインの元祖になったのが、20系という客車だ。1958(昭和33)年にデビューし、1970年代初めまで寝台特急の中心的車両だった。
↑1980年8月18日、上野駅にて、寝台特急「あけぼの」(左)
自分が鉄道写真を撮り始めたのと同じ頃、その20系は寝台特急の表舞台から姿を消し始めていた。気が付けば、上野と青森を結ぶ寝台特急「あけぼの」ぐらいになっていた。
だが、臨時列車や夜行の急行列車では、その後もしばらく活躍の舞台が残されていた。
↑1983年8月19日、根府川駅付近にて、寝台急行「銀河」
↑1983年3月30日、秋田駅にて、急行「おが」
↑1980年12月30日、京都駅にて、臨時寝台特急「明星」
↑1983年3月28日、東戸塚にて、臨時寝台特急「あさかぜ」
↑1985年8月、山崎-高槻間(当時)にて、臨時寝台特急「あかつき」
その後に登場した後継のブルートレインとは異なり、3本の白いラインが特徴だった20系だったが、主に急行に格下げ使用されるようになってから、おでこ(上)の白線が消されていった。
↑1986年3月27日、門司港駅にて、急行「日南」
↑1986年2月、京都駅にて、臨時寝台特急「日本海」
ブルートレインとして長らく活躍し、1986(昭和61)年には定期運行の急行列車からも姿を消した20系だったが、その後も臨時列車などで使われる機会が10年余り続き、デビューから40年を迎えた1998(平成10)年まで生き残っていた。
埼玉の鉄道博物館などに保存車両があり、京都鉄道博物館には貴重な食堂車が展示されている。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。