1986年8月~1987年8月 余部鉄橋

日本海側を走る山陰本線には、海を望む撮影ポイントがいくつもあるが、中でも余部(あまるべ)鉄橋は鉄道ファンの間でも人気が高かった。

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↑1986年11月、東京発米子行きの寝台特急「出雲」が通過する

1909(明治42)年に建設が始まり、1912(明治45)年に完成した余部鉄橋は、全長約310メートル、高さは約41メートルで、11基の橋脚と23連の橋桁を持つ鋼製の、まさしく「鉄橋」だ。
 しかし、日本海から吹き付ける強い風で、特に北西の季節風が強い冬季は、列車が止まることが多々あった。

そんな中で、国鉄がJRになるのを翌年に控えた1986(昭和61)年の12月末、余部鉄橋を通過していた回送列車が、けん引していた機関車を除き、客車7両が全て強風で転落するという、衝撃的な大事故が起きた。

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↑1987年8月、列車が転落したカニ加工場や民家の跡地から鉄橋を望む

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↑1987年8月、一部フェンスが高くなった余部鉄橋を通過する普通列車

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↑1986年8月28日、大阪と博多を結んでいた特急「まつかぜ」が通過する

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↑1987年7月、京都からやって来た特急「あさしお」。転落事故を機に風向風速計が増えた。

列車転落事故以降、鉄橋上にはいくつもの風向風速計が増設され、風速20メートルの風で列車が止まるようになった(注*それまでは25メートル)。
 必然的に列車が止まる日が増えて、利用客への影響も大きくなったことなどから、元から老朽化の進んでいた鉄橋は、紆余曲折を経て、新橋への架け替えが決まった。

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↑1987年8月、日本海を左に見ながら通過する特急「はまかぜ」

ちょうど、その頃、古い「旧型客車」が最後の活躍を見せていたのが、この但馬地域だった。
 SL時代から変わらない、青や茶色の古びた客車は、1980年台半ばから急速に姿を消していて、日本全国からコアな鉄道ファンがその最後の姿をカメラに収めるため、余部鉄橋を中心とした但馬の地を訪れていた。

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↑1986年11月、朝の通学ラッシュ。餘部駅のホームに旧型客車の普通列車が滑り込んできた

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↑1986年11月、餘部駅(注*鉄橋は「余部」、駅は「餘部」で、どちらも「あまるべ」)が開業したのは1959(昭和34)年のこと。鉄橋が完成してから50年近くもの間、この地域の住民で鉄道を利用する人たちは、この余部鉄橋を渡り、その先のトンネルもくぐり、隣の鎧(よろい)駅まで線路沿いを歩いていたという

         *****おまけ*****

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↑朝のラッシュタイムが終わり、姿を見せたのが保線用の車両。日本海からの風が吹き付ける高さ41メートルの橋上での作業は、高所恐怖症の自分にはとても真似できない…(1986年8月28日)

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