1987年・春~夏 叡山電鉄

1987年の春から秋にかけて、京都市北部の洛北地域を走る叡山電鉄を盛んに撮りに出掛けていたことがあった。
 沿線を巡るだけでなく、全駅で降り立ったりもした。

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起点の出町柳駅は、今でこそ京阪電鉄と直結しているが、当時は「陸の孤島」みたいな存在だった。
 京都駅からだと、バスで30分以上をかけて辿り着かなければならなかった。
 自動車の普及もあり、この頃は乗客が右肩下がりで赤字が続いており、人件費削減を狙って1985年に京福電鉄から分離されたばかりだった。
 駅名を大書した看板の左上に「京福電鉄」とあったものを「叡山電車」と書き換えたばかりだった。

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平日朝夕のラッシュタイムを除けば、駅構内も車内もガラガラだった。

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線路保守もままならないのか、それとも車両が古かったからなのか、スピードはそれほど出てないのに、お世辞にも乗り心地が良いとは言えなかった。

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1両編成と2両編成の電車が走っていたが、どちらにも運転士と車掌が乗り込んでいた。今では、10月末の「鞍馬の火祭」がある時を除き、車掌が乗ることは滅多にない。

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宝ヶ池を過ぎて、岩倉に入ると、車窓には緑の田園地帯が広がっていた。

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30年近くが経った今では、住宅だらけになっているが、当時は洛北中学校や、モヒカン刈りになった一乗山がよく見えた。

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二軒茶屋から市原を通ると、次第に山岳鉄道の色彩を帯びる。出町柳から鞍馬まで15kmに満たない路線だが、車窓の変化は日本国内でも珍しいぐらいに変化に富む。

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モミジのトンネルを抜けると二ノ瀬駅。今でこそライトアップなどが行われて有名になったが、当時はマニアックなポイントではあった。

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貴船を過ぎると、終点の鞍馬までもうすぐ。

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佇まいは今とそれほど変わりないが、観光客の数は今ほど多くなかった気がする。

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鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。